柔順居正無応、他人を正すほどの力はないが、じぶん独りはしっかり正しさを守れるから、その身(胴体)に艮まるの象で、咎はない。自分の身ひとりだけがとどまることである。陽剛不正、中正の人にも近づき、六三の陰柔にも心をひかれ、どちらと悦びを共にしようかと商り考えて容易に決心がつかぬ象。このままでは安寧とはいえないけれど、もともと陽剛の性格なのだから思い切って確乎たる態度で六三の柔邪を憎み退ける決心をつければ、やがては喜びを得る。福慶がもたらされることである。陽剛、ただその地位正しからず、応爻の初六もまたその地位は不正、この際は思い切ってなんじの足の親指つまり初六との腐れ縁を解去すれば同類の朋友がやってきて誠意をもって助けてくれるであろう。正当な地位につき得ていないからである。陽剛不正、旅に出てどうにか腰を落ち着ける場所は得られるものの、資斧を得てもその心は快くない。資とは資材であり他国に旅して、生活には不自由の無い待遇を受けるのである。斧とは兌の卦を刀とみて、巽の卦を木とみて、斧になる。他国に旅して生活に不自由しない待遇を受けてもまだ己の志を行うべき官職を受けないので、その心持ちはまだ本当に安んずるところまではいかない。孔子が斉や楚に往ったが仕えず、孟子が斉に居て斉を去ったが如きはこれに当る。資斧は鋭利なる斧、物をたち切ってととのえる斧と解釈する説もある。陽剛居柔、陰陽の宜しきを得て能くその任に堪えるから棟が隆起して撓むことのない象で吉である。しかしその上更に初六の正応からの援助を心待ちにする他志があると吝である。九二が初爻にかかずらって撓む事がないからである。