三人を行って一人を損する。互いに猜疑心を生じて迷うことになる。一人で行けばこそ友を得られる。陽剛居正、本来ならば自ら正道を守って人を感じしめるべきなのに上六に感じて動く。例えれば身の下、股に似ているから、股に感ずという。その執り守るところが人に随うという自主性の無さであるから行けば吝であり羞ずべきである。一つ所にじっとしていられない。執り守るところが卑しいと言わねばならぬ。陰柔不中正、善を固恃し得ずしきりに過失を犯してはまた善に立ち返る事を繰り返す。あやういといえばあやういが咎はない。道義の上で咎がない。陽剛居正、内卦の極めであるから進むに健、すでに蓄めようとする態度を変えようとしている時だからあえて九三の進むのを妨害しない。従って九三はあたかも良い馬を馳せるように進むこと速やかなるを得るが剛強を恃んで気負って進むのは危険である。故に苦しんで貞正をとり保つように心がけるがよろしい。日ごとに車輿を御する術攻撃を防衛する術を練習熟達するようにすれば進んで事を行うにもよろしい。上にいる者(上九)が心を合わせてくれるからである。陰柔不中正でしかも無応、帰妹に際して正夫人たり得ず須(卑賤の女)として随う象、換言すれば娣(前出)として帰嫁すべきである。相手を待つべき。まだ正しい位に当っていないからである。