道理に従って自然のままに行動し、強いて多くを期望せず、例えば耕作に際してはただ耕作につとめて収穫は自然の成るにまかせ、一歳の新田を作るに際してはただその耕作につとめて三歳の熟田を得ようなどと考えないというような心がけであれば往って事を行うによろしい。陽剛居中、剛中の徳をもって六五に応ずる象、誠意があれば礼の簡略な祭を行ってもよろしい。咎はない。喜びを得られるという事である。九五に正応があり、安んじて進み得るから、鴻が堅固安泰な磐にまで進む象。衎衎(和らぎ楽しむさま)として飲食することを得て、吉である。いたずらに禄を食んで遊んでいるのではなく、九五の君を輔けて道を行おうという心構えだからである。陰柔中正だが九五に正応があるのでこれに牽かれることになり大同無私の交際を果たし得ないからその宗族の中の人だけと和同する。従って吝である。陽剛居中、剛中の徳をもって初陰と出遇い、その進もうとするのをぴたりと抑えとどめる。たとえて言えば包に魚を包み込むようなもので、こうすれば咎はない。もしその進むのをおさえとどめないで、賓すなわち他の陽にまで遇わせるようなことではよろしくない。