陰柔不中正 陰爻でありながら剛位に居る身の程知らず。例えば片目でありながらよく目が見えるとかびっこでありながらよく歩けると強情を張っているようなもの。従って虎の尾を踏むような危険を犯せば虎から噛みつかれる。また武勇一辺の武人が大君となり智徳不足で国事を敗るようなもの。片目でよく見えると言えば視力明らかとは足りない。びっこでよく歩けると言うのでは行動を共にするのには足りない。人を咥うの凶というのは地位が不当だからである。武人大君となるというのは志ばかり剛であっても実力がそれに伴わぬ事である。卦中の独陽でしかも居正衆陰の信服を得、立派な功労がありながら謙遜な君子であるからよく終わりを全うして吉である。万民の心服を得た人のことである。過剛不中、家人を治める者のありかた。治め方を厳しくすれば家人はきゅうきゅう言って悲鳴を上げるが、治め方の厲しさを悔いるぐらいであれば家道を失わずに吉を保つことができる。反対に緩やかすぎて女子供がいつもきゃあきゃあ笑いこけるしまりのなさでは結局において吝である。放縦に流れるよりは、厳格過ぎる方が結局は宜しいことになる。家を治める節度がない。君子終日乾乾し夕べにて惕若たり。あやうけれども咎なしとは何の謂いぞや。子曰く、君子は徳に進み業を修む。忠心は徳に進む所以なり。辞を修めその誠を立つるは業に居る所以なり。至るを知りてこれを至る。ともに幾べきなり。終わるを知りてこれを終わる、共に義を存するべきなり。この故に上位にありて驕らず、下位にありて憂えず故に乾乾す。その時に因りて惕る。危うしといえども咎なきなり。