荒れ穢れた人達も包容し時には徒歩で大河を渡るような冒険を犯し、疎遠でも才徳ある人の事を忘れず、私的な朋党の利害関係を滅却して前進するのであればまさに中道にかなった行動であり得よう。陰柔中正 否塞の時ながら有徳の君子を包容しその言葉を順承するだけの良心がある。才徳のうすい小人ならばこの態度は吉である。有徳の大人ならばこの否塞の時に堪えて道を守ることによりやがては亨る。群小の輩に乱されぬからである。陽剛居中の身で六五の人に応ずる。賢女の身で愚夫の配偶を得た象で、せっかく内助の功を尽くしてもあまりうだつはあがらない。眇 片目で物を見てもあまり遠くまでは視力がおよばないようなものであるから、幽人 幽静の徳を守り貞正の態度を失わずに婦道を全うすることがよろしい。婦としての常道をとり失わずにいることである。柔順中正、おのれの明徳を夷り傷つけられたとはいえ、その痛手はそれほど深くはない。例えて言えば歩行にさしたる支障のない左の股を傷つけられた程度。従って脚力の強壮な馬の救いを借りて速やかに危難を避ければ吉である。その身に柔順の徳があり、行動が法則にかなっているからである。陽剛居中、六五に応じ中直の道をもって陰柔の三小人(初・三・上)を解去する象。たとえて言えば狩猟に出て三匹の狐を捕らえ、しかも射て放った黄矢(黄金のやじりをつけた弓矢)を取り戻すを得たようなもの。貞正を守れば吉である。中道を得ている。