陽剛居極、頭上の角にたとえられるから、その角に居てはるかに遠い初六の陰に偶おうとしても果たされるはずがない。吝すなわち羞ずべきではあるけれども咎にはならない。居る場所が上に窮まっているから、剛強に過ぎて度量が狭いので陰に誘惑されることはないが吝なのである。陰柔居極、初剛に最も遠くしかも正応を持たぬのは最後まで迷って善に立ち返りえない象だから凶である。このようでは災眚にかかるであろうし、この態度で軍隊を動かせば最後には大敗を招いてその累を国君にまで及ぼすから凶である。十年たっても敵国を征伐することはできぬであろう。君主としての道にもとるからである。亢龍悔いありとは何の謂いぞや。貴くして位なく、高くして民なく、賢人下位に在るも輔くるなし。ここをもって動きて悔あるなり。陰柔居極、その重任に堪えぬこと、例えていえば身の危険も考えず川をかちわたり頭のてっぺんまで水に浸かってしまうようなもので凶であるがその志の殊勝さから言えば咎はない。志を咎めることはできない。