陽剛居初、六四の正応があるが、これに心を動かさず、安んじて自己の孚誠に徹すれば、吉であり、他に心を動かすようでは、かえって落ちつきを失う。志を変えない。陰柔居下、上に正応の九四があるので、それを目指していちずに飛び上ろうとする。彖辞にも飛鳥これが音を遺す、上るに宜しからずとあるとおり凶である。その凶なることをどうしようもないということである。楊剛居初、本来ならば剛徳あって自主独立その正を養うべきであるにもかかわらず神明の霊亀にも比すべきおのれの明徳を放棄し、六四を観て養われんことを求め頤をたれて物欲しげに振舞う。凶である。もはや貴ぶに足りない。陰柔居初、渙散のきざしのはじめの時であるが、これを救うのに強壮な馬(九二)の助けを借りることが出来れば、成功をおさめ得て吉である。柔順の徳があるからである。