不中不正の陽剛でその志は九三と同じだが、柔位にあって六二の比でも応でもないので一度は城の墉に乗って九五を攻めようとするが城が堅くて攻めることはできないと知って自ら反省して正道にたちかえるから危険を免れることが出来るのである。道理から言って攻めえぬこと。自ら困苦して正道に立ち返ろうという気持ちがあるからである。このような人物が軍を統帥すれば戦勝は収め得なくても退却して宿営し、大敗には至らぬから咎はない。なお兵戦の常道を失っていないからである。陽剛中正、君主の高位に在ってその徳力で在下の小人(初六)をおおらかに包容する。たとえて言えば杞(杞柳・かわやなぎ)の枝で編んだ籠の中に美味しくて潰れやすい瓜をそっとしまい込むようなもの。また剛中の徳を持ちながらも、その徳の美しさ(章)を包んで晦まし、かくして小人を包容することにつとめれば、やがて天の時が至って、彼自らが転落して、剛正の君主に包容せられる。これが陰柔の小人を遇するゆえんである。中正の徳を備えているからである。志において天命を忘れないで天の時を待って小人を包容するのである。柔順居正、賢婦の象で家事に精を出せば自然に家を富ますことになり、大吉である。柔順で正しい位地にあるからである。陽剛不正、陽剛の身で陰の位に居るのだから、本来からすれば悔があるべきだが、努力して貞正を守れば吉であって、悔も消滅する。ただそれには懸命の努力が必要であって、勇気を振るい動かして鬼方の蛮族を征討すれば、3年もの苦労の末にはやがて大国に封ぜられるような勲功を立て得られる。その志が行われることである。