柔順居正、井戸の甃もすでに手入れができて、人から用いられるのを待つばかりだから咎はない。井戸の手入れを済ますこと。陽剛でありながら柔位にいる。乾胏(腊肉より更に堅い骨付きの乾肉)を噬むようなもので罪人の抵抗に遇い獄を治めることはますます困難であるがやがて金矢を得て事を全うする。金矢とは鈞金つまり三十斤の黄金・束矢つまり百本の束ねた矢を訴訟を起こす人がこれを裁判官に納めて保証とした。従って金矢を得るのは裁判の落着を意味する。ただし事はなかなか困難であるから苦しんで貞正を保つのがよろしく結果は吉である。徳がまだ光大ではない。陽剛不正、無応孤独、睽かれてひとりぼっちであるがやがては同気同類の元夫(善良な丈夫)たる初九と相い遇鵜を得、互いに孚とし信じあうようになれるから厲いとはいえ咎を受けることはない。陽剛居柔、陰陽の宜しきを得て能くその任に堪えるから棟が隆起して撓むことのない象で吉である。しかしその上更に初六の正応からの援助を心待ちにする他志があると吝である。九二が初爻にかかずらって撓む事がないからである。あるいは躍りて淵にあり、咎なしとは何の謂いぞや。子曰く上下すること常なきも邪をなすにはあらざるなり。進退すること恒なきも、群を離るるにはあらざるなり。君子徳に進み業を修むるは、時に及ばんことを欲するなり。故に咎なきなり。