柔順居正 下に初九の正応があるがまた九三の陽剛に近いのでいささか思い惑う所があり、キラキラと己の身を飾り立てようか、白色無飾として身を慎もうかと決しえない。折柄これまた無飾の白馬に打ち乗って疾風の様で馳せつける者(初九)がある。その質朴無飾なのを見てこの人こそ我に寇するものではなく婚婿せんとするおのれの正応だと知って安心する。初九か九三のどちらに従うか思い惑う。初九に従えば遂に尤なきを得るのという事である。陽剛不中正、その才徳が足りぬために、正応の初六も九二に親しんでやってきかたがのろのろしている。つまり九四にしてみれば、鉄の車(九二)のために困しむことになる。その意味では吝であるが、本来の筋道から言えば初六は自分の所にやって来るべき者であるから、結局は想いを遂げることができる。結局は味方してくれるものがある。陽剛、ただその地位正しからず、応爻の初六もまたその地位は不正、この際は思い切ってなんじの足の親指つまり初六との腐れ縁を解去すれば同類の朋友がやってきて誠意をもって助けてくれるであろう。正当な地位につき得ていないからである。過剛不中正、正応を得られぬまま六五に附麗しようと欲するが突如としてやって来るという強引さではしょせん人から容れられず果ては焚かれ殺され棄てられるような憂目に遭わなければならぬ。人から容れられる余地がない。陽剛居柔、陰陽の宜しきを得て能くその任に堪えるから棟が隆起して撓むことのない象で吉である。しかしその上更に初六の正応からの援助を心待ちにする他志があると吝である。九二が初爻にかかずらって撓む事がないからである。