柔順居中、旅に出て、柔順中庸の徳を失わずこれに処するから、雉を射て、矢の一本ぐらいは損をしても、やがてはこれを手に入れることができ、最後に誉命(名誉と爵命)をおのれのものにするようになる。そのりっぱさが上の人の耳にも達することである。陽剛中正居尊、心から安んじて節度を守るから吉であり、進んで遠近内外に及ぼして事に当れば、人から尊敬を受け得られる。尊位に居て中徳をそなえているからである。四陽の最上位、つまり大過陽の勢いの過ぎることの極地であり正応がないのですぐ上に居る上六の陰と比しもうとする。盛りを過ぎた陽がさらに年老いた陰と親しもうとするのであるから例えていえば枯れかけた楊柳に仇花が咲き、年老いた婦人(上六)が夫(九五)を得たようなもので、しょせん夫婦生育の功はおぼつかない。咎もない代わりに誉れにならぬことである。陽剛中正、嘉く遯れるべき時に遯れる立派な精神の持主だから、その貞正さを失わなければ吉である。志を正しく保っているからである。陽剛中正、君主の高位に在ってその徳力で在下の小人(初六)をおおらかに包容する。たとえて言えば杞(杞柳・かわやなぎ)の枝で編んだ籠の中に美味しくて潰れやすい瓜をそっとしまい込むようなもの。また剛中の徳を持ちながらも、その徳の美しさ(章)を包んで晦まし、かくして小人を包容することにつとめれば、やがて天の時が至って、彼自らが転落して、剛正の君主に包容せられる。これが陰柔の小人を遇するゆえんである。中正の徳を備えているからである。志において天命を忘れないで天の時を待って小人を包容するのである。