賁道の極、賁飾の極地は白色に返る。白く賁る事こそ最も素朴自然の文飾とも言えるから咎なきを得る。悠然自得の志を保ち得ているからである。陰柔居極無応、小人の身で九五剛陽の君子の上に在るので、葛藟(くず・かずら)にからまれ、臲卼として困しむ象。こんな時に行動を起こせば悔いを生ずるが、自分の身の小人としての至らなさを悔い改めてから先へ進めば吉である。自ら行って反省する。思い切っていくからである。陰柔居極、解の極に至ってなお解去されぬ非常な悪人、たとえて言えば隼のように荒々しい悪鳥であり、しかも高い塘(土塀)の上にもたとうべき卦極の高所に居る、故に王公たる者は、この隼を高塘の上で射てとれば、これを捕らえ得て何事にもよろしい。道理に悖る者を解去することである。陰柔居極、道理に明ならず、在下の賢人の明徳を夷り傷ける闇晦の君主。初めは天に昇るように尊貴の地位に在るが、後にはその失徳失行によって地下に葬りさられる。正しい法則をとりうしなう。