陰柔不中正 否塞無道の世に在って立身出世しそのことに対して羞恥を感じながら心中にそれをおし包む人である。その地位は不当。内卦三陽の最上位。泰道の極盛期とも言い得る。ただ物事の道理として平らなものはやがて傾き往くものはやがて復らずには済まない。泰道も極盛をすぎればやがて否塞の時に遭う事を予期せねばならぬからいたずらに安逸をむさぼらず艱難に堪えて貞正の態度を取り保つ覚悟でいれば咎なきを得る。おのれの誠信が通ぜぬことなどを憂える必要はない。ただただその誠信に徹すれば永く食禄を得て幸福であり得よう。天地交わる際の常道。過剛不中無応、鴻が水を離れて陸地まで進みながら落ち着きを得られぬ象。しかも九三は正応を得られぬままに、すぐ上の六四に私比しようとする。これは夫が(九三)が家を外に六四と浮気して帰らず、婦(六四)も不貞の子を孕んで育てようとしない象だから、凶である。ただ九三の剛に過ぎる性格からすれば、敵の来寇を禦ぐにはよろしい。本来の群衆(仲間)を離れて勝手に行動することであり、婦孕みて育わずというのは正しい女の道を失った振舞いだからである。もって寇を禦ぐに利よしというのは、仲間と和順しておたがいに助けあえるからである。過剛不中、遯るべきときであるのに下の二陰に牽かれてこれに係がれかかずらう象でありいろいろの私情にかかわって遯れることができず、疾病にかかったように悩み苦しむ。ただし、臣妾奴婢を養うように適当に小人を取扱って「悪まずして厳しくす」の態度で処すれば禍いをまぬがれるであろう。しかし大事をともにはかることはできない。疾病にかかったように疲れ果てるからである。大事にはよろしくない。過剛不中、初六の陰はすでに九二におさえこまれているし、上に応ずべき陰もないので、陰に遇おうとしてはたされず、従って行止共に落ち着かないことが、たとえて言えば尻の皮膚がむけてしまって坐ろうにも落ち着いて坐れないようなありさま。思い切っていこうとしてもつい次且(逡巡)してしまう。陰に遇えなければそれに牽かれる惧れもないから、危ういけれども大きな咎はなしに済む。行って陰に遇おうとしないではないが、それに牽かれずに惑溺しないでいるということである。