謙遜して自己の抑制に勤め、文章才能の美を含み隠して貞生を取り保つべきであり、時に王命を奉じて事に従う場合も、あえて成功にいる事を成さず、終わりを全うすることに心がくべきである。君子終日乾乾し夕べにて惕若たり。あやうけれども咎なしとは何の謂いぞや。子曰く、君子は徳に進み業を修む。忠心は徳に進む所以なり。辞を修めその誠を立つるは業に居る所以なり。至るを知りてこれを至る。ともに幾べきなり。終わるを知りてこれを終わる、共に義を存するべきなり。この故に上位にありて驕らず、下位にありて憂えず故に乾乾す。その時に因りて惕る。危うしといえども咎なきなり。卦中の独陽でしかも居正衆陰の信服を得、立派な功労がありながら謙遜な君子であるからよく終わりを全うして吉である。万民の心服を得た人のことである。陰柔不正、不徳の小人が荷物を背負いながら分不相応な貴人の車に乗り不当の栄誉をむさぼろうとして、終わりに強盗から襲われるような事態を招く。いかに貞正を守るつもりでいても吝である。しょせん恥ずべき行為。我自らの至らぬせいで強盗に襲われる事態を招くのだからまた誰を咎めることができようか。