陽剛中正の君ながら、困窮の時局に際会しているだけに万事が思うようにならず、上は上六の陰に蔽われ、下は六三の陰に迫られ、たとえて言えば鼻を切られ足を切られるようなみじめな状態であり、せっかく有為の諸侯を登用して難局を切り抜けるために用意した赤紱(赤色のひじ掛け諸侯の礼服に用いる)も役に立てずに困しむ。しかしながらやがては在下九二の賢臣を得ておもむろに喜びを味わえる時が来る。誠敬をつくして祭祀の事を心掛けているがよろしい。志がまだ遂げられない。やがて福を授けられるであろうからである。柔順居中の君に当る。華美を願わず、ただ丘園を美しく農桑に務めて本を敦くし、聘礼に用いる一束の帛も戔戔として倹約にすれば吝薔のそしりは受けようが終わりには吉である。大過なきを得たという喜びがあるからである。陽剛中正、六二の正応を有する。王者が良く家を治めて道にいたり、夫婦相和し相い応ずる象。家を斉えるのは治国平天下の本であるから、このようであれば何も恤うべきことがなく吉である。夫婦が互いに愛し合う事。相愛する。柔順居中の君、よく初・三・上の小人を解去し、二・四の君子を登用することにつとめれば吉である。そうすれば解去された小人も誠意をもって心服するに至るであろう。小人が退くことである。陽剛中正、事すでに済るの時において陽剛の身で尊貴最高の地位に在るのだが、事済れりといって驕りたかぶることはよろしくない。むしろ六二柔順中正の人のやがて多幸であるのにおよばない。たとえていえば東隣(九五)の家で牛を犠牲にし盛大な祭りをするよりは、西隣(六二)の家で禴祭をおこない本当に神の慶福を受けることの方がましなのである。禴祭を行えば、吉が大いにやってくる。