陰柔中正ではあるが、正応を持たぬから九三の陽に随って行動しおのれを飾る。例えれば口ひげが下あごにくっついて動くようなものである。上の者と一緒に行動を起こすことである。剛陽居中、有為の才能を抱きながらも、今は二陰の間に挟まれて意を得ずに困しみ、わずかに酒食をもってその鬱憤を晴らす状態。隠忍自重していれば、やがては朱紱(朱色の膝掛けで天子の礼服に用いる)の人すなわち九五の天子が訪れ来たって拳用してくれるであろうから、静かに誠敬を尽くして神を亨るほどの気構えで居るがよろしい。みずから往って人に求めれば凶であるが、剛中の徳を守って天命を待てば咎なきを得る。剛中の徳を守ればやがて慶びがあるということである。陽剛居中、六五に応じ中直の道をもって陰柔の三小人(初・三・上)を解去する象。たとえて言えば狩猟に出て三匹の狐を捕らえ、しかも射て放った黄矢(黄金のやじりをつけた弓矢)を取り戻すを得たようなもの。貞正を守れば吉である。中道を得ている。陽剛居中、往けばひきとどめられる事を知って自ら止まる象例えていえば車の車輪と車軸を繋ぐ紐を自分でほどくようなもの。中庸の徳を守って尤のない行いである。陽剛居中の身で六五の人に応ずる。賢女の身で愚夫の配偶を得た象で、せっかく内助の功を尽くしてもあまりうだつはあがらない。眇 片目で物を見てもあまり遠くまでは視力がおよばないようなものであるから、幽人 幽静の徳を守り貞正の態度を失わずに婦道を全うすることがよろしい。婦としての常道をとり失わずにいることである。