陰柔中正 否塞の時ながら有徳の君子を包容しその言葉を順承するだけの良心がある。才徳のうすい小人ならばこの態度は吉である。有徳の大人ならばこの否塞の時に堪えて道を守ることによりやがては亨る。群小の輩に乱されぬからである。荒れ穢れた人達も包容し時には徒歩で大河を渡るような冒険を犯し、疎遠でも才徳ある人の事を忘れず、私的な朋党の利害関係を滅却して前進するのであればまさに中道にかなった行動であり得よう。九五に正応があり、安んじて進み得るから、鴻が堅固安泰な磐にまで進む象。衎衎(和らぎ楽しむさま)として飲食することを得て、吉である。いたずらに禄を食んで遊んでいるのではなく、九五の君を輔けて道を行おうという心構えだからである。剛陽で険卦の中心にいる訴訟の当事者。しかし訴える相手が同じ陽剛で上位にいる九五ともなれば訴えに克つ見込みはない。引き下がって逃れ竄れるほかはないが住民三百戸程の自分の領邑に引きこもって謹慎すれば災いにあわずに済む。禍患の到来は自ら好んで拾うように必死である。柔順中正、婦道の正を得た者のありかた。私意を遂げることなく、ひたすら家中にあって饙食すなわち飲食を調え祭祇に供することをつとめとする。このようであれば貞しくて吉である。柔順で夫に巽がって、自らを立てとおすことをしない。