柔順居正、すでに上卦の坎険中に陥っているから、進めば蹇まねばならぬが、来たりとどまればしたの九三と手を連ねて事に当る事ができる。位が正に当たり誠実だからである。陽剛不正、無応孤独、睽かれてひとりぼっちであるがやがては同気同類の元夫(善良な丈夫)たる初九と相い遇鵜を得、互いに孚とし信じあうようになれるから厲いとはいえ咎を受けることはない。陽剛不正、陽剛の身で陰の位に居るのだから、本来からすれば悔があるべきだが、努力して貞正を守れば吉であって、悔も消滅する。ただそれには懸命の努力が必要であって、勇気を振るい動かして鬼方の蛮族を征討すれば、3年もの苦労の末にはやがて大国に封ぜられるような勲功を立て得られる。その志が行われることである。三陽の中央に在り、人体に例えればその中央に位置する心臓に当る。心の働きは思う事、思うことが正しければ、万事の大本となり、吉であって悔いも自然になくなるけれど、私意妄想をはたらかせ憧憧(心定まらない様)として思いまどうようでは広く心を感じさせることはできずせいぜい限られた仲間の者だけがその人の思いに従うだけである。まだ不正な私的感情に害されないからである。まだその感応させ得る範囲が光大でないことである。陽剛不正、初六の正応ではあるが、初六はすでに九二におさえこまれていて自分とは遇わぬから包に魚がないことにたとえられる。強いて起って行動すれば凶である。在下の人すなわち初六から遠ざかっているのでこれに遇う事ができない。