柔順居正、往来の人々が誰でも井戸を利用できる状態。つまりだれでも自由にこの井戸の水を汲むに任せておいて蔽いなどをする必要がない。人の期待を裏ぎらぬだけの誠意井戸にたとえればいくら汲み上げても尽きぬだけの水量があれば、大いに吉である。井戸の大成した状態である。卦極の過剛。罪重くしかも改めようとしないで重罰を蒙る者の象。首枷をはめられ耳まで傷つけることになり凶である。道理を聞き分ける聡さがない。陽剛居極、初め正応の六三と感情が睽違して孤独であり、疑いの目でこれを見るからたとえて言えば相手が背中いっぱいに泥をこびりつけた豚のように汚らわしいものに見え、また一台の車にいっぱいの鬼(幽霊)が乗ってきたかのように妄想恐怖をたくましくすることになる。従って初めは相手を警戒して弓の弦をはり戦いの気構えをするが後には疑惑が解消するから弓弦をはずす。つまり相手が侵寇しようとするのではなく自分と縁組みしたがっているという心が納得される。だから進んで雨に遇う陰陽の和合を得ることに心がければ吉である。もろもろの疑惑が解消されるからである。過剛居極、九二とおなじく巽順に過ぎて牀下にはいつくばう象。その揚句にせっかく陽剛の我が身を護るべき資斧をも失ってしまうことになる。貞正であろうとしても凶である。上位にいて行きづまることである。その資斧を喪うというのは、まさしく凶なることである。