礼道完成の時。その履み行うところをつぶさに視て、善悪邪正を反省し常に正・善に立ち返る事を心がければ大いに吉である。大いなる慶福が与えられるのである。陰柔居極、謙徳をもって鳴る事は六二と同じながら、卦極の高い位地に居るためにその志を十分に遂げ得られない。だからたとえ軍隊を動かすにしてもせいぜい自分の領邑内での征伐ぐらいにとどめるのがよろしい。志十分に遂げられないこと。卦極の陽剛、故に男子として家人を治める道を汎論する。家人を治めるに当って、よく誠意があり、しかも威厳を欠くことがなければ最後には吉である。よくわが身に反省を加え自分に厳しくすることから始めるという事である。陰柔居極、兌説の極であって在下の2陽を引き入れて悦びあう象。まだ公明正大なこととは言われない。