卦極の陽剛、故に男子として家人を治める道を汎論する。家人を治めるに当って、よく誠意があり、しかも威厳を欠くことがなければ最後には吉である。よくわが身に反省を加え自分に厳しくすることから始めるという事である。陰柔居極、解の極に至ってなお解去されぬ非常な悪人、たとえて言えば隼のように荒々しい悪鳥であり、しかも高い塘(土塀)の上にもたとうべき卦極の高所に居る、故に王公たる者は、この隼を高塘の上で射てとれば、これを捕らえ得て何事にもよろしい。道理に悖る者を解去することである。陽剛居極、未済も今や終ろうとする時であるから、心の誠実さを失わず、静かに酒を飲んで悠然と時勢の転換を待つ心がけであれば、咎はない。しかし事の済らぬのに焦って酒に溺れ首まで酒びたりになるようでは、たとえ誠実の志があっても、それまでに積みかさねた是なること、手柄まで併せて失ってしまうことになるだろう。やはり節制するのをしらないのである。陰柔居極、才能が不足しているのに強いて事を済そうとするのだから。狐が川を渡ろうとして尻尾どころか頭の先までずぶ濡れになってしまうようなもので、危険である。どうして長くそのままでいられるはずがあろうか。