陰柔居中、九二をひき蓄ようとする立場。九二は初九に比べてその力はやや強いが柔中の徳によってこれを制することはまた必ずしも困難ではない。故にこれを獖豕の牙に例える。つまり豕は剛躁な性質の動物ではあるが、これを獖(去勢)してしまえばその牙が残っていても大人しくなって人に危害を加えることはない。このように事を制するにそのよろしきを得れば吉である。事を制するによろしきを得ることによって慶びを得られるからである。陽剛中正の君主、天下の人々を萃めて、君位を保有する象であるから、もとより咎はない。たとえ自分の誠意に疑いをかけて信服しない人がいても、大いに長く貞正の徳をとりたもつように努力すれば、信服されないという悔いも消えるだろう。信服しない人があるかぎりはその志がまだ光大とはいえないのである。柔順居中、高い位にありながら身を下して九二の賢に応ずる。その昔殷の帝乙が妹を臣下の賢人に降嫁させた事例がこれに当たる。このような場合は徳が高く位も貴いのだからきらびやかに着飾ることは少しも必要がない。だからその君正夫人の着物の袂は娣の女性の袂の美しさにおよばなくても差支えはない。月が望(満月)に近くなればおのずからその輝きをますように、内なる婦徳の美しさは自然に光輝くことをえるであろうから、吉である。その位が中を得ており、貴い身分でありながら、万事を控えめにして嫁ぐことである。陽剛中正誠心を尽くし攣如すなわち人と手を執りあって事に当たる。富も独占しようとせずその隣人(六四)と分け合うほどの心意気である。自分だけ富もうと考えない。柔順居中、柔順の身で五の尊位にいることは悔いを生じやすいが、九二の正応の助けがあるから悔いは消滅する。その宗たる九二と合しやすいことはあたかも上下顎でやわらかい膚肉を噬みあわせるようなものだからどこに往くにしても何の咎もないであろう。