陽剛ながら中位に居らず粗暴な性格であり六二と私同しようとして九五を敵に回して争うこととなる。そこで伏兵を草むらにひそませあるいは高い陵にのぼって敵の形勢を観望するが手ごわい相手なので3年たってもまだ兵を起こすところまでは行かない。こんな不遜の野心を遂げるようなことは到底実行されるものではない。どうして実行に移れよう。不中正。このような人物が軍を統帥すれば、軍は敗戦の憂き目にあい統帥者は戦死してその死体を乗せて帰ってこなければならない事にもなりかねない。凶である。全く成功がおぼつかない。過剛不中、初六の陰はすでに九二におさえこまれているし、上に応ずべき陰もないので、陰に遇おうとしてはたされず、従って行止共に落ち着かないことが、たとえて言えば尻の皮膚がむけてしまって坐ろうにも落ち着いて坐れないようなありさま。思い切っていこうとしてもつい次且(逡巡)してしまう。陰に遇えなければそれに牽かれる惧れもないから、危ういけれども大きな咎はなしに済む。行って陰に遇おうとしないではないが、それに牽かれずに惑溺しないでいるということである。陰柔不中正、従って无妄至誠に行動しても不慮の災いを蒙る。例えば村里の中に牛を繋いでおいた場合通りがかりの村人がそれを盗んで牽いて行ってしまうとかえって近所の村人が疑われて無実の災いを受けるようなものである。過剛不中無応、鴻が水を離れて陸地まで進みながら落ち着きを得られぬ象。しかも九三は正応を得られぬままに、すぐ上の六四に私比しようとする。これは夫が(九三)が家を外に六四と浮気して帰らず、婦(六四)も不貞の子を孕んで育てようとしない象だから、凶である。ただ九三の剛に過ぎる性格からすれば、敵の来寇を禦ぐにはよろしい。本来の群衆(仲間)を離れて勝手に行動することであり、婦孕みて育わずというのは正しい女の道を失った振舞いだからである。もって寇を禦ぐに利よしというのは、仲間と和順しておたがいに助けあえるからである。