陽剛不正、初六の正応ではあるが、初六はすでに九二におさえこまれていて自分とは遇わぬから包に魚がないことにたとえられる。強いて起って行動すれば凶である。在下の人すなわち初六から遠ざかっているのでこれに遇う事ができない。柔順居正、五陰の中央に位してしかもただ一人初九の剛に応ずるから悪い仲間と悪に陥りかけながら途中から一人だけ善に立ち返る。このようにして道に従う。あるいは躍りて淵にあり、咎なしとは何の謂いぞや。子曰く上下すること常なきも邪をなすにはあらざるなり。進退すること恒なきも、群を離るるにはあらざるなり。君子徳に進み業を修むるは、時に及ばんことを欲するなり。故に咎なきなり。柔順居正、正応もなく、上下の四陽に挟まれているので悔のあるべき状態ながら、柔順で巽順の正道を得ているから、その悔も消滅する。田に出れば三品(上・中・下の三種の肉)を手に入れることができる。成功をおさめるという事である。陽剛不正、無応孤独、かれてひとりぼっちであるがやがては同気同類の元夫(善良な丈夫)たる初九と相い遇鵜を得、互いに孚とし信じあうようになれるから厲いとはいえ咎を受けることはない。