陰柔不中正ながらその身にかかずらう私情を散らして、正応たる上九のために尽くそうという心がけなので、悔はない。志が上九に尽くそうという点にあることである。陽剛居正、あたり真っ暗、日中だというのに沬(小さな星屑)まで見えるような状態でありせっかく腕を振るおうにも右の肱が折れた時のように十分の力が発揮できない。しかし自分にやましいところがあるわけではないから咎はない。大きなことをするにはよくない。しょせんそれを用いることはできぬということである。陰柔不中正、頤養の正道にもとって妄りに養いを求める象。このようであればたとえ求める相手が正応の上九であり、その限りにおいては貞正であっても凶である。十年たっても行動を起こしてはならぬ。よろしい所がない。いるべき道が大いに間違っているからである。過剛不中、不遜の心をいだきながら、うわべだけはしきりに巽順を装う。ほんとうの巽順ではないから、吝である。志が本当はそうでないから行きづまるのである。陰柔不正、上九に応じようとするが違の時期なので事が志とたがい、二陽に前後から妨げられる。すなわち九二は後から輿を曳っぱろうとするし、九四は前に居て輿の牛をひきとどめようとする。しかも上九も疑い深くなっているので六三の人は天(髪を切る刑)やの刑罰を加えられるような憂目に遭うが最後にはその疑いも解けて相遇う事を得る。初めだめだが終わりはよい。最後に上九と相遇うからである。