陽剛居極無応、いささかの係累もなく悠々と隠遯の志を果たし得て余裕のある賢人でありこのようであればどんな場合でもよろしからぬことはない。心に疑念を持たないからである。柔順居極 臨道の極致であるから敦厚・手厚い態度で人に臨む象。吉であって咎がない。志が内卦の内卦の二陽つまり在下の人々に従うことにあるからである。陽剛居極、頭上の角にたとえられるから、その角に居てはるかに遠い初六の陰に偶おうとしても果たされるはずがない。吝すなわち羞ずべきではあるけれども咎にはならない。居る場所が上に窮まっているから、剛強に過ぎて度量が狭いので陰に誘惑されることはないが吝なのである。陰柔居極、きわめて物に感じやすくこれをすぐ口に出すだけで誠意を欠く。だから輔・類・舌に咸ずという。輔は上あご、類や舌と一緒に人がしゃべるときに動く部分である。ただ口に出すだけのことである。