人間の性格。


それは人が成長の過程から、残されていく記憶を如何にとらえ並べて行くかにより、

様々なカタチに形成されて行く。



一般に辛いことの方が記憶に残るというが、最も古い私の記憶も散々なものから始まる。


当時、自分の歳さえ思い出せない幼い私は、

大好物であったポテトチップスを泣きながら廊下にばらまいていた。

泣きじゃくる私の言葉は、こみ上げる嗚咽と幼いゆえの拙さで、

およそ理解に苦しむ形をなしていたに違いないが、

その時の感情は、大人になった今も心の隅にまるでトラウマのように刻まれている。



私はおよそ裕福な家庭に生まれた。

共働きの両親は若い年齢で結婚したため、

当時は祖父母も何らかの就業をしていたに違いなかった。

家の敷地には何棟もの建屋があり、両親、祖父母は別々の建屋で就寝していた。

その為、食事こそ家族全員でとってはいたが、

幼心にそれぞれ別々の生活があるように感じていたのを覚えている。

そしてそこに曾祖母と年端もいかない子供を付属したものが我が家のカタチだった。


私には、生まれたその瞬間から自分の上位に立つべくした“兄”というものが存在していた。

どの程度の年齢から兄を認識していたのかは解らないが、

最も古い私の記憶ではすでに“兄”として登場するのだ。

今になって思えば私と二つ違いの兄もまた当然幼く、

とても良心の呵責で物事を考えられる年齢ではなかった。



“ジャイアニズム”

 

私がこの言葉を知ったのは確か小学校より後の話だと思われる。

周知の通り、この言葉は某有名漫画の登場人物の性格を表した新語である。

その人物が、

“俺の物は俺の物、お前の物は俺の物”

を代表とするたいそう利己的な考えを周囲の者達に強要するのだ。


この印象強さと老舗漫画がもつ強大な影響力とがあいまって、

ジャイアニズムは何時からか日本語として認識されていたのだ。


ここで話す私の記憶もこの“ジャイアニズム”から始まる。


私の考察が確かならば、幼ければ幼いほどに、

近ければ近いほどにその利己的な思想は上下関係と比例して大きくなるものである。



当時の私は幼いながらにすでに委縮を覚えていたようで、

両親にはその態度が手間のかからない子としてうつっていた事が昔話に度々語られる。


しかし、私はすでに“兄”との上下関係の中にいた。

兄は私にとって疎ましい存在であったと同時に、いつも頼れてやさしく、離れ難い存在でもあった。

私はいつの間にか自分と兄の間に確固たる線引きをしていた。

幼い私の世界では兄こそ絶対であり、

そこに多少のジャイアニズムが加わろうと然したる問題ではなかった。

勿論全てに従うほどの従順さなど持ち合わせてはいなかったが、

疑問も持っていなかったのは確かだった。


 

幼い頃の私達には週にいくらかのお小遣いが支給され、

それは決して多過ぎず、自分で計画的に生活していかなければすぐにでも底を突くものだったが、

周囲の者達に不自由のなさを誇示するには十分な額であったように思う。

このお小遣いは私の世界を色付かせる絵の具のようなものだった。


無論幼い私も己の欲と常に葛藤しながら、一生懸命に考えた上で商品を購入していた。

それは“我慢をすること”を日常の習慣として浸み込ませるには最適であり、

当然のようにそれは私を成長させた。



ある日の事。

兄が私の大好物であったポテトチップスを購入し食べていた。

私は兄に自分にも分け与えて貰えるように懇願した。

兄が食している物は全て同じように食したかった。

なぜか私にはその権利があるような気がしていたと思う。


しかし、兄が発した言葉は私の期待を大きく裏切るものであった。

やはり兄も同じように与えられた小遣いの中から、

ポテトチップスを選び購入していたのだから当然かもしれない。

兄は “欲しけりゃ自分で買いなよ”と言って、

分け与える必要の無さとその権利すら無い事を説いて聞かせた。


兄は自分へ分け与えてはくれないとそれとなく理解した私は、

おとなしく自分の視界から大好物が消えて無くなるのを待った。

兄が食べ終えた菓子袋を捨てた時、私は思いついた。


そうだ。僕もお小遣いでポテトチップスを買って食べよう。


私の小遣いではまさに家計への大打撃であった。

しかし、一度欲しくてたまらなくなった物を諦めるような、

自分を引き留める術を私は持ってはいなかった。

私は次の小遣い日まで何も買えなくなる事を覚悟し、大好物を購入した。

自転車でお店に向かっている時も購入し帰宅する時も、嬉しくて楽しみでずっと笑顔だった。


家に着いてはやる気持ちを抑えながら、

中身が飛び出してしまわないようにゆっくりと開封し、

袋の内側から立ち上るコンソメの香ばしい香りに幸せを感じた時、

私は“兄”の存在を強く意識させられた。


なんと兄はソレを自分に分け与えるように強要して来たのだ。

私には断る権利は無く、絶対だった“兄”の言葉を受け入れるしかなかった。


まるでテレビでも見ているかのように、

兄の手が今の私にとって一番大切なモノに伸びて行くのを眺めていたとき、

突如云い様の無い不安に強烈に憤った。

私が“兄”のジャイアニズムに反旗を翻した瞬間である。


先程まで兄が私に説いていた言葉と、今、私が置かれている立場が歪であるという事は、

幼いながらもはっきりと理解できていた。

気が付くと私は大好物の入った菓子袋を抱えて走り出していた。

どうしてもこの状況から逃げ出したかった。

けれども二歳離れた私の脚力など“兄”に敵う筈もなく、

抵抗する仕草さえあまり意味をもたなかった。

記憶にある兄の顔は先程までの私のように楽しそうに笑っていた。


必死に逃げた私はおそらく転んでしまったのだろう。

そんな私を兄は冗談めかして抑えつけた。

自分の力では解決出来ない事を知り、

逃げ切れなかった私は手に持っていた大好物を、廊下にばら撒いてしまった。


見慣れた廊下で、ニスの禿げかかった床板を無残に汚している私の大好物は、

“兄”のジャイアニズムに勝つ事が敵わなかった私の心の様なものに見え、

悔しさと悲しさが織り交ざった複雑な感情となった。

それはおそらく初めて自分の中に芽生えた自尊心で、私はやり場を見付けられなかった。


馬乗りになった“兄”が立ち上がり押さえつけるモノが無くなると、

私はせきを切った様に泣きだした。

子供は気に食わないことがあると癇癪をおこして泣き出すが、

私にとってこの出来事はそんなものではなかった。


誰か大人がたしなめに来た時、

泣きじゃくる私の言葉はこみ上げる嗚咽と幼いゆえの拙さで、

およそ理解に苦しむ形をなしていたに違いなかった。


私の記憶では、大人に怒られていたのは“兄”であったが、私は負けたのだ。

自分では振り払えない理不尽に屈伏したのだ。

私のとった最後の手段は、私を救ってくれるものではなく、

惨めな私と叱責される兄を切り離す為の押し切りでしかなかった。


大人は珍しく泣きやまない私を不思議そうに眺めていた・・・




ポテチって美味しいよねヾ(@°▽°@)ノ


やめられないとまらない~~

バルバソです。





PS お兄ちゃんごめんなさい。

子供の話だから許してね(´・ω・`)

じゃいあんさんもね。