早朝、よせばいいのに、姫路城外周をジョギングした。ホテルから5kmだった。朝食を食べて、姫路城内を歩き、さらに姫路文学館に向かったのでさらに5km歩くことに。明日は京都トレイルランというのに、さらに大阪に移動して司馬遼太郎記念館を訪ねるというに、、。
さて、姫路城では木造建築物ならではの柱や壁に感動した。場内には模型があって、私は建築士のふりをしながら「うーむ」と唸った。最近、倉庫業登録の仕事で建築図面ばかりみていたので、気分はその筋の人なのだ。
写真では見えにくいが中心近くに東大柱と西大柱が地階から伸びている。
私は、森博嗣シリーズの犀川先生みたいに「圧巻だね」といい、眼鏡を中指であげた。
「みてごらん、西之園くん、ふたつの柱で重量6千トンの大天守を支えているんだ」
すると、西之園萌絵が尋ねる。
「各階の耐荷重は平米あたり400kgありましょうか」
「3600ニュートンあったらすごいね」私は頷いた。
あれ、妄想してたら時間がなくなってきた。
動画に書いたことを書いておこう。「播磨灘物語」からの抜粋である。
官兵衛の黒田家は、江戸期に筑前福岡で五十二万石の大大名となった。
かれは(官兵衛の祖父)、姫路と呼ばれているあたりに住み着いた。
村のなかに、丘がある。土地のひとは、「姫山」とよんでいた。
「ー黒田どの御家には家伝の薬はござらぬか」
「薬」
重隆は、話が意外でよくのめこめなかった。
重隆は、少年の頃、目が悪かった。母がそれを作ってくれたが、よく効いたような記憶がある。
要するに重隆は、目薬をつくることになった。
このために、後の世ー
筑前福岡の黒田家は、「たかが目薬屋のあがりではないか」などと言われるようなことになった。
しかし、黒田氏がこの播州でひとかどの勢力をきずくにいたるのは、この目薬のおかげなのである。
ーやがてー
(小寺)藤兵衛は黒田父子をー姫路城に入らせー西方の鎮めにしたのである。
藤兵衛とは殿さまのことで、大河ドラマでは鶴太郎が優柔不断ぶりをみごとに演じていた。官兵衛は岡田くんで、その父は柴田恭兵。長政は松坂桃李くんだった。
今回は、京都トレイルランついでに姫路を観光したのだが、御着城跡や妻鹿城跡、そして広峰神社にも行けなかった。またいつか行くことになるであろう。
ひと月あまり続いた戦国ブームを終わらせ、次は幕末にとぶのだ。
次は、萩往還。マラニックの部65kmにエントリーしている。
「松陰先生、また来ましたぞ」と明木(あきらぎ)で挨拶するのだ。
(動画なり)