<資料編(ずんだもん解説)>
【夜明駅】
· 始まりは「夜焼(よやけ)」なのだ。もともとこの地域は焼畑による開墾地で、夜に畑を焼く風景などから、最初は「夜焼」という地名がつけられたのだ。
· その後、「焼」から「開」へなったのだ。火災を連想させる「焼」の文字や発音を嫌って、縁起の良い文字として「夜開(よあけ)」へと改字されたのだ。
· その後、さらに文字が改められ、現在の「夜明」という美しい表記に落ち着いたのだ。
【今山駅】
· 一般的な地名の成り立ちでいうと、「今山」という地名は全国に存在するけど、多くは「新しく開墾された山(新山=いまやま)」や「新しく居を構えた山」といった意味合いから名付けられるケースが一般的なのだ。
· 夜明地区との関連だけど、隣の夜明駅の由来が「夜に畑を焼いて開墾した土地(夜焼)」であった歴史を考えると、今山も同様に新しく開墾されたり拓かれたりした山や土地であることに由来している可能性が考えられるのだ。
【大鶴駅】
· かつて2つの村の名前を合体した大鶴村という地名があったのだ。明治22年(1889年)の町村制施行の際、「大肥(おおひ)村」と「鶴河内(つるがわうち)村」という2つの村が合併したんだ。その際に、それぞれの頭文字をとって「大鶴村」という新しい合成地名が誕生したのだな。
· ちなみに地名学において「オオ(大)」は大きいこと、「ツル(水流)」は水の流れ(川)を表すことがあり、この地域ではまさに大肥川の流れを指す地形的な言葉でもあるのだ。
・・・・ちなみに大肥川についてだけど、
平安時代(1032年)の記録にはすでに、この流域一帯が太宰府天満宮の領地である「大肥庄(おおひのしょう)」と呼ばれていたことが記されているのだ。
川の名前が先か、この地域名の「大肥」が先かは定かじゃないけど、川の運ぶ土砂が穏やかな谷底平野を作り、そこに古くから豊かな荘園(大肥庄)が拓かれたことは事実だから、この土地で生きてきた人々が川に込めた「願い」や「感謝」の歴史があと思うんだ。
【宝珠山駅】(ほうしゅやま)
· なんと!天から「星の玉」が降ったんだって!飛鳥時代より前の欽明天皇8年(547年)、この地の岩屋に光り輝くものが天から降ってきたと伝えられてるのだ。
· 当時の人々はこれを、仏教で何でも願いが叶うとされる不思議な玉「宝珠(ほうじゅ)」に見立てて「宝珠石」と名付け、大切にご神体として祀っていた!
· なので、この宝珠石が祀られた山ということから一帯が「宝珠山」と呼ばれるようになり、地名や駅名として現代に受け継がれたのだ。
【大行司駅】(だいぎょうじ)
· 「九州で唯一、プラットホームが県境(福岡県と大分県)をまたいでいる駅」だったのだ。
· 大行司駅の近くにある高木神社は、明治維新より前は「大行事社(だいぎょうじしゃ)」と呼ばれていて、彦山(英彦山)の神領を守る神社なのだ。
· 「大行事(だいぎょうじ)」の意味は、修験道の霊山として名高い英彦山(ひこさん)の領地を守る結界の役割や、そこに祀られた神様を指す言葉なのだ。この神社を中心とした一帯が「大行事」という地名になり、やがて文字が「大行司」へと変化して駅名にも採用されたのでした。
· ちなみになんで大行事社が高木神社になったかは、面白いからググってね。特に高木さんは自分のルーツがわかるかもよ。あ、英彦山の本来の祭神は高木神(たかみむすび)だ。
【筑前岩屋駅】
・ 駅舎のデザインに注目なのだ。現在の駅舎は、近隣の岩屋神社を模してデザインされているというのだ。
・ 547年、光り輝くものが天から降ってきて、それを「宝珠石」と名付け神社のご神体として祀り神殿を建てたのが「岩屋神社」の始まりだそうだ。
【彦山駅】
· 天照大神の子が降臨した山だから「日子山」(日の御子の山)。天忍穂耳尊(アメノオシホミミ)。
· 日子山→彦山→英彦山
「室町時代に胎蔵界としての彦山と金剛界の宝満山の尾根筋を踏破する入峰修行が確立された」だってよ。
次の“山ガールの道”は宝満山なのだ。
· 屋形原という地名があるのだ。ここはかつての修験者(山伏)たちが生活していた坊(宿坊)の跡や、地域を守ってきた古い神社が点在してるらしい。
【豊前桝田駅】(ますだ)
· かつて霊山・英彦山には多くの山伏(修験者)が住んでいたのだ。伝説では、この地の長者が英彦山の権現様に「大きな桝」で量ったお米を献上した、あるいは山伏たちが使う特別な桝がこの地で作られていたことから「桝田」と呼ばれるようになったと言われているのだ。
【勧遊舎ひこさん駅】
· 道の駅があるのだ。
【添田駅】
· 「英彦山の神領に『添った(沿った)田んぼ』」であった」のだ。
(下見中の未来さん)
