わたしは何かあると、いや何もなくても《死にたいな~》と思うことが度々ありました。

 

 

 

それを考えている時のわたしは、『自分って何の役にも立たないダメ人間だ』と思っているとわかったとき、人間は、死にたいと思う時は自己否定してるときなんだと思いました。

 

 

何も困ったことがないのに、ご飯も食べれて、何とか生活ができる環境が合って、支えてくれる人もいる。それなのにわたしは世の中から放り出されて、自分だけが何の役に立てていないことに虚無感がぬぐえなかったとわかりました。

 

 

 

この世界は、自分の心のすべてです。よくもなり、悪くもなります。わたしは、自分をもっと世界に役立てていきたかったという強烈な渇望をそこに見つけました。

 

 

 

いつもしあわせだ!と言っている人は、悪いことの中にある裏側の⦅いいこと⦆にフォーカスを当て続け、いいことがあったときには裏側の⦅悪いこと⦆に注意し、驕り高ぶらない。だからこそ、常に幸せという感情をフラットに体現できるのです

 

 

 

 

悦びすぎる、というのも凶事になります。雷地豫という卦には有頂天になり楽しみにふけりすぎると大きな災いがあるという忠告があります。今のスピリチュアルはこの喜びにフォーカスしすぎ、楽しみが常にある状態がしあわせだ!と過剰に叫んでいます

 

 

しかし、わたしから見たら極に至る時のことを考えると、やはり精神世界というものは、あまり踏み込みすぎると自分を見失うもので、自分からわざわざ不幸になりに行っている、とも見えるのです。

 

 

易にある、自分をいかに磨き続けるか、が大事で、不幸もしあわせも全部がギフトである、という教えが響きます。

 

 

死にたい、と考えてしまうあなた。

 

 

あなたが強烈に渇望していることは何ですか?

 

 

それが見つけられたとき、自分を見る目が変わると思います。自分が見ている自分の感情の裏には、強烈な自分に対しての渇望がそこにあるのです。素直な人ほど、天の働きが活発に動く肉体(器)として、人生を180度変えてくれます