自分だけで生きられる、少なくとも精神的にそうである人は、これら思想の必要はないのである。「心処思想」はあってもなくてもいい。あれば、心の支えにはなる。「導怨思想」は"本性"にふさわしい姿勢や仕組みを建設することが大事であることを他者の関わりや社会構築でも必要ということを教えている。
 
"本性"と適合しない体制や法律はいくら作っても、まともに機能しない。偽善や偽善にすらならない悪徳詐欺師や嘘つきどもをはびこらせ混乱の素である。
 
"本性"をつきとめるには、ひたすら徹底的内観を行うとか、他者から適切な徹底的質問を受けるのが良い。"本性"=我執である。社会のそれは徹底的な現状把握である。第三者委員会ですら不十分なくらいだ。
 
私には随分と前から当然のことと思っていたのだが、思想整理のためAI活用していたら、新規性ある思想だと言うからびっくり仰天だ。だって本来の仏教にも同様なことを教えているではないか。社会体制づくりでは、本性を改善せず、むしろ逆利用するというのは確かに新規性があるのかもしれんが、それとて、容易に導かれるものと思っていた。