怨念は何故生まれる。逆恨みは別として。
簡潔に言えば、理不尽な社会、卑怯卑劣な裏切り行為、建前と実態の著しい乖離だろう。納得があれば怨念は生まれないのだ。常識だと思っていることが非常識によって潰されるときもそうだ。
将門公、崇徳院、道真公のときもそうだろう。単なる野心が破れて怨念になるのではない。自分の身以上の過重義務・負担でも怨念が出る。
わかりやすい最近の事例紹介は別の機会に譲るが、怨念はそういうときに発生する。
 
この怨念を軽視・無視していたら、危険な事態はすぐに到来する。
怨念の導き方を誤ることは組織・国体の死に直結する。
世界各国、どこでも種類の違いはあれど同様の危機がある。
 
実はこういう思想を思いつく動機は誠にありふれたことで、「神性」「聖性」に憧れ近づくことを目指すことは貴いことなのだろうが、どうにも近づくことはできない本性を無視・軽視して背伸びして張り詰めて無理して憲章なり指針なり制度をうち建てても、少しの横揺れが来ただけで潰れてしまう。ならばそれぞれの国々の本性を歴史分析から見極めて整地した上で基礎を造り建てるべきという発想なのだ。
 
どんな思想も「本性」と「土台」を誤れば瓦解する。
理想は執着を捨てた超越者に、制度は捨てられない本性に合わせよ。
そもそも理想が本当に正当なのかわかったものではない。特にSDGsの一部。