最近、「神の国」地上建設と生命体居住可能な惑星体への転生の二つの妄想を綴ったが、もうひとつだけ妄想すると、いや空想すると、新しい国教を制定して、それに基づいた法律改正を憲法含めて行い社会制度も改変したらどうか。既存宗教から厳選してそれを精錬しても良いけど、日本だと神道、祭祀長として天皇を基軸にしたほうが良いだろう。
明治政府による「天皇教」創設を初めて知ったときに気づくべきだったのだが、神託や天啓とともに起きる奇蹟によってのみ(地上の精神面における)宗教等の世界的改革はなされると頑なに思い込んでいたが、人間のほうから蓄積された経験から徹底的思考の末にアプローチして宗教等の世界的改革はなしえても良いんだな。天才と秀才だな。秀才のほうが大体分が悪いけど十分な経験値があればできる。
そんなのは私欲も絡み邪教になると思い込んでいたけど、大体アジャストすることもできるんだと。いくつかほころんだままだったのでキリスト教文化に伍することはできなかったけれども。
天皇崇拝といいながら、ノモンハンの戦いにおける軍部みたく天皇を軽んじている輩も多く居たり、陸軍と海軍の争いに代表されるようにセクショナリズムが解消できていなかったり(現代における市民一般規範よりは社内・組織内規範が完全に優先されるような事態)と、キリスト教文化がもたらす社会規範・構造より劣ってしまう。優秀な兵隊は沢山居たけど馬鹿なトップや上司ばかり出世してしまう。現代のほうが深刻か。
(4:00追記)
馬鹿ばかり出世してしまうというのは、いわゆる"良心"の自由が正常作動しないからで冷徹な評価を下せないからだろう。ここで「下せない」というのは、内心で評価している(あの部長は馬鹿で無能と思っていても)が実際に公言し地位を下げられないことを指している。人格否定につながるからだ。キリスト教では信仰はあくまでも「自分自身と神(天主、God)との対決」いや「自分自身の我欲や執着それから派生する欺瞞と神(天主、God)との対決」なんだけど、日本だとそれほどの緊張感はないので、組織内人間関係に埋没して冷静な評価を下せない。つまり"良心"の自由が発揮できない。規範も人間関係に左右されてトップ級上司が死去したり、個人も法人も地位が向上して人間関係が変化したら途端に傲慢になり規範を破りだす。そしてカルト化する。