テレビ番組出演が続き、本人達が望む楽曲を披露できているようで何より喜ばしいことだ。実はもう彼らに関心がかなり無くなってきている。その理由は彼らが目指す方向に期待が持てないこと、リード曲の歌詞を含め理解し難いことである。
ダンスはなかなかやるが、世界、特にアメリカやEU圏で高い評価を受けるレベルまでには無いだろうという見解があり、私もそう思うこと。そして歌唱が平凡であり、リード楽曲に魅力がないというより訳が分からない歌詞が酷い。私にとっては「GOAT」「BON」は自分にとっては理解不能、あの分野を"イキリラップ"と称しているのであろうか、やたらと自信満々で挑発的とすら思うのだが、彼らのパフォーマンスが追いついておらず、かえって無様に見えてしまう。
 
音楽の大型番組にダンスコラボの企画があるらしいが、彼らはそれに参加しないらしい。まあ、放送局のほうで彼らの参加を禁じているのかもしれないが、むしろ積極的に参加して、ダンスの実力や楽しさを見せつけてやれば良いのに、と思う。
 
そして、イキリラップばかりでなく多種多様な世界観を表現すれば良い。なぜ、自分達で活動"制限"を加えるのであろうか。
そして、積極的にもっと自分達の思いをアナウンスすれば良い。
そうしないのは何故なのだろうか。ボロが出てしまうからか。
「めっきが剥げてから人生」というのなら、もっとボロを出してもいいから、本当に思っていることを口外したり、パフォーマンスで表現していくべきだろう。
米国のHIP-HOPは生命の危機を減らす貧民街での闘争手段であり、運と才覚があれば出世の道であるという。いくら幼少期苦労したとしても日本でそこまでの危機はあるまい。だから日本のHIP-HOPは建設的だったり、やや道徳的でもあるのではないか。まあ、本当に反感とか敵意むき出しの感情しか湧きあがらないのであれば、どうしようもないから、吐露し続けていけばよいと思う。魂の根源から湧きあがるものでないと世に訴えるのは難しい。
しかしこれは芸能である。聴く人観る人がいなければ成立しないのである。本当にファンの願っていること、してほしいことを模索しているのだろうか。
私には自分勝手で好き放題で趣味に走っているようにしか見えず、そして根強いファンの支持に甘えているとも邪推してしまう。
日本語圏から世界に通用するには、幅広く支持される必要があるから、自分達の個性が万人受けするには、もっと模索して発表しなくてはいけないのではないか。楽曲でもいい。ダンスでもいい。主張や想いでもいい。
今はかなり人気を落としているという。猛省すべき時期ではないのか。
元ジャニーズのファンは幻想、いや夢を見に来ているということを念頭に置いておくことだろう。特に大事なのは「男同士の友情」と「男児の可愛らしさ、少年としての無邪気さ、気品・風格等カッコよさ」だ。
それを面倒くせぇと言いそうなのが彼ららしいと思ってしまうので、これまた始末の悪いことよ。
特に平野はジャニーズ事務所に入所してしまったことが大間違い。彼の本心にとっても事務所側にとっても。考えるたびにそういう確信に至ってしまう。せめてエグザイル系のLDHに入るべきだったのでは。 
 
どうすれば良いかって!?
散々好き勝手にやっておいてそんな質問は愚問中の愚問だろう。
滝沢秀明社長も含めて、まさに「縁なき衆生は度し難し」だ。
キリスト曰く「自分で蒔いた種は自分で刈り取らなければならぬ」でもある。
そういう覚悟はあるはずだ。
 
しかし、いくつか考えるなら
1.ヒップホップ曲成功例「Ichiban」の作詞作曲者KREVAに縋りつく
RIEHATAだけでは駄目だったのだから、KREVAに縋りつくしかなかろう。
(自分の観点で)格好つけたり身の程知らずにクリエイティブであろうとして異議を唱えず、とにかく、浄土系・日蓮系の信者のごとくKREVAさんの慈悲に縋りつくしかない。素晴らしい楽曲を作ってもらえ。
 
2.今こそコミックソングをレパートリーに
「BON」MVでドリフの二人にも賞賛されたと聞く。仕込みかもしれぬが。
とりあえず、令和版「隣組」「月月火水木金金」で替え歌を。
 
3.自分達が道に迷い苦悩した楽曲はあるが、去ってしまったファンに謝る哀愁を帯びた楽曲が無い。YouTubeの「very noon」を見本曲として置いてあるが、その系統のもの。
まあ、今更謝られても、女性は1度見限ったら冷淡になるから無駄だろうが、曲のラインナップに加えるべきだろう。
 
4.「GOAT」「BON」系列を音楽的、演劇として様式美にしてしまう。
「お経」→「クレイジーパート」→「ダンス」
→「〆」を洗練して、様式美ある新芸能をつくる。まあ、これは傷口を拡げるだけになるおそれあり。
(続く)