一度、私の幼少期~青年期について触れたことがあったが、確か小学校入学前で保育園の時期だったか。昆虫、植物、動物等図鑑を買ってもらい全部記憶していた時期があったという。確かにそういう時期はあった。自分の部屋というものが無かったので社宅の廊下の上、簡単な棚を置いて図鑑を並べていた。
そんな凄いことができたのに、全然、昆虫、植物、動物の名前を言い当てることはもう小学生の時期にはできなくなっていたんだよね。
それにうっすらと記憶はあるが、そのときの向学心なのか興味なのかわからぬが、当時の主体的情熱や熱意を思い出すことができないんだよ。
あの時期は何だったのか。。。
おそらく、その時期だけ、勉強癖をつけてくれた「別の思考(体)」が私の肉体に同居していたんじゃないか。幼少のときや霊感の強い人は「前世の記憶」とか「別人格」が入り込むことがあると聞く。
スウェデンボルグ の話でも、善霊は善行をするとき喜び、悪霊は悪行をするとき喜び、手伝ってくれるという話がある。勉強をするときは勉学の好きな霊が手伝ってくれたのだろう。
ゆえに、私は「前世の記憶」を語る少年少女が居て、※各種調査により事実と判明した場合でも、果たして、その人自身の前世なのか、憑依思考体のそれなのか、すなわち「因」なのか「縁」なのか判断できないと思っていた。
※一応、補足しておくが「前世の記憶」があるという人を退行催眠しても全滅で、実のところ「妄想、願望、意識混濁、無意識の発現」の類と著名な先生に聞いた。検証に耐えて事実と判明する例はかなり少ない。現代は特に妨害要因も多いんだろうね。
そして、事故や事件で身体が壊れてしまい、特に脳が破損して、回復したとしてもそれ以前と以後で全く人格が豹変してしまう人が稀にいる。
それがきっかけで予知・予言できる等特殊能力を身につける人も居る。
人格が大きく転換する人は、身体というレシーバーが壊れて狂ってしまい受信できる周波数が変わってしまったと表現したら良いのだろうか、そこで主体霊となる「因」が交代してしまったのかもしれない。私の妄想かもしれんが。
そういう場合、現世修行霊はその時点でもう「死んで」、新しい霊が途中交代で修行しているのかもしれぬ。
ジャニー喜多川の場合、恐るべき獣的異常性欲の主体は死ぬまで一度も身体を明け渡すことはなく、殆どはその根源欲望から各種の感情発露だっただろうが、芸能の素晴らしさを説いたり、演出を語るときは、幾分かは「縁」として他の霊とか思考(体)が手伝ってくれたと解釈しておけば良いのではないか。
彼を「善人」と信じていたい人は、その肉体に関わってくれた「縁」霊(思考)に謝意を持っていれば良いのではないか。特に精力が著しく衰えた晩年は。