少しだけ、自分のことを。
耳を澄ます前に、少しだけ、自分のことを。
少しだけ、親子ネタに弱い自分のことを。
僕が小学校5年に上がる時の春休み、
僕の両親は離婚しました。
実はその1年前くらいから、
資格試験かなんかの勉強に集中するとかで、
父親は家を出て、別居していました。
今考えれば、不自然な理由ですし、
4歳上の兄は、さすがに気づいていたようですが、
「離婚」ということに、なぜかすごく抵抗感を感じていた僕は、
無意識にフタをしていたのか、全く気づいていませんでした。
その話を切り出されたときのことは、
今でもはっきりと覚えています。
母と祖母と兄と、横浜に旅行に行っていたときでした。
本牧にあるホテルに帰ってきて、
中華街で買ったカンフースーツに早速袖を通し、
何だか大はしゃぎしていた気がします。
涙が止まりませんでした。
その話を切り出されたときは。
人生でも、一番泣いた時じゃないかな、と思います。
なんだかんだで、大好きな両親だったので、
何年も後(というかむしろ数年前)に聞いた話だと、
「何で家族なのに別々に暮らさなきゃいけないんだ」
とか言ってたらしく、子供ってすごいこと言うな、と
母が感じていたらしいです。
その当時から(今でも変わりませんが)、
自分の両親のことは尊敬していたので、
その両親が、自分たち子供のことをまったく考えずに、
こういう決断をしたんだとは考えませんでした。
むしろ、子供たちのためにそういう決断に至ったのだと、
ひょっとしたら無意識に思っていたのかもしれません。
「このことで、グレたりしないでほしい」
というような祖母の言葉に、
「もっともっといい子になる」と、
泣きながら、でも意識的に言ったことを覚えています。
多少無理をしてでも、その場で考え得る最大限の、
精一杯の「いい子」なセリフを言いたかったのでしょう。
今考えれば、きっと子供にそれを話さなくてはいけない親の方が、
すごく辛かったろうと思うので、
子供の頃の自分に「グッジョブ」と言ってあげたいです。
それ以来、今日に至るまで、
離婚した両親のことを恨んだり、憎んだりしたことは一度もありません。
もし、人生をやり直せるとしても、
ひょっとしたら離婚することを止めようとしないかもしれない(笑)。
これも後日母親から聞いた話ですが、
僕ら子供の前では、ちゃんといい夫婦でいようと、
絶対に喧嘩している姿を見せないようにしようと、
決めていたそうです。
だからこそ、家の空気が悪くなったりする前に、
別居という手段を選択したのでしょう。
そういう判断は、本当に尊敬します。
それから、母が父親と母親の二役を担うことになり、
祖母が母親役をフォローすることになりました。
父ともたまに会っていて、まるで友人のような感覚です。
兄がわりとやんちゃをした、というより、
やんちゃをする友人と仲が良かったこともあり、
母親は色々苦労したみたいです。
その時に、中学生くらいになると、
もう頭ごなしに何かを言っても通用しないと気づき、
「私はこう思うけど、君はどう思う?」という
対話のスタイルに教育方針を切り替えたそうです。
一人の大人として、扱うようにしたそうです。
僕はと言えば、兄のやんちゃの影で、苦労している母と祖母、
そして父を見ていたので、大した問題を起こせるはずもなく、
わりといい子のポジションを守りきれていたように思います。
まぁ母親曰く、何か辛いことがあっても隠そうとする子だから、
「ただいま」といって帰ってきたときの目をしっかり見ていた、
とそれなりに心配はかけていたようですが。
で、僕が中学に上がったあたりから、自然と兄の時の教育方針が適用され、
やっぱり早い内に、一人の大人として扱ってくれていたように思います。
ちゃんと自分で考えて、それを尊重してくれていたと思います。
僕が「年の割りに落ち着いている」と言われるのは、このあたりの影響でしょう。
性格的なものもあるとは思うのですが、
自由を与えられた分、逆に心配はかけたくないと、
あまりはっちゃけるようなことをしなくなったと思います。
そしてそれが、今でも身に染み付いているのでしょう。
今僕は、兄が数年前に結婚して家を出たので
(結婚する前から家を出て同棲していたけど)、
母と祖母と三人で暮らしています。
父はその後再婚して、子供を二人生みました。
だから僕には15歳下と18歳下にかわいい妹がいます。
ちなみに、父の結婚式に出席するという、
ものすごく貴重な経験もできました(笑)。
その父ともよく会うし、父の家に遊びにいったりもします。
だから妹たちとも、さらには父の再婚相手の方
(なんと表現したらいいのやら。普段はあだ名で呼んでますが)とも、
良好な関係を築けています。
さらに不思議なのが、父と母も非常に仲が良いです。
高校の頃から付き合っていたこともあり、
お互いをだいぶわかりあっているからでしょう、
たまに父が母のところに遊びに来ます。
(まぁ無用な心配をかけないために、再婚相手の方には内緒なのでしょうけど)
さらにさらに、以前母親がお付き合いをしていた方も、
よく自宅に遊びに来ていました。
母と祖母とその方と、僕と僕の『あいかた』とで、
北海道に旅行にいったこともあります。
うーん、何だか不思議な家です。
自分で言うのも何ですが。
でも、この家に生まれてきてよかったと、心から思います。
ここまで育ててくれた母と祖母には、本当に感謝しているし、
母が父を嫌わないでいてくれたおかげで、
僕も父を嫌わないでいられたのだと思います。
ポニョに出てくる、ソースケの母親は、
信じられないくらいすんなりとポニョを受け入れていました。
そしてソースケを寵愛しながらも、対等に扱おうとしていたようにも思えました。
少しだけ、自分の母と重なったような気がします。
両親が離婚してから、ひとつだけ心に決めていたことがあります。
それは、両親が離婚したことを「負い目」に感じるようなことは、
絶対にしないようにする、ということ。
周りから「両親が離婚しているから」と言われるようなことは、
絶対にしたくない、と思っていました。
今のところ、無事それは果たせたのではないかな、と思います。
まぁ両親の中にはどうしても「負い目」に感じてしまう部分はあるかもしれませんが、
それでも常に幸せを感じながら生きてこれたし、今もとても幸せです。
でも、親子ネタに弱いのは、やっぱり両親が離婚しているからなのかなぁ。
ところで、兄には今4歳くらいになる息子がいます。
すごいな、と素直に尊敬しています。
僕は子供が好きだけれど、未だに子供がほしいとはなかなか思えない。
どうしても「父親像」をイメージできないのです。
でも、兄が実際に子供を生み、育てている姿を見ていると、
子供が父親を育てるんだな、という気もします。
少しだけ、とか言いながら、いつになく長くなってしまった。
しかも取り留めなくなってきた。
さて、それでは、耳をすませてきますかね。