『豊かさ』というもの
今日、夕飯を食べながら、NHKの『インドの衝撃』を見ていた。
今回は農村に住む貧困層をターゲットにしたビジネスの話。
これまでずっと市場で買い叩かれていた農作物を、
規制緩和により、大企業が市場での価格よりも高価格で直接取引きすることで、
農家の方はもちろん、企業側も中間マージンを取り除くことにより、
実質割安で仕入れが出来るようになったそうな。
さらには、今までより収入が増えた農家の方々が、
テレビや洗濯機、シャンプーなど、様々な消費活動を起こし、
貧困層向けビジネスが注目を集めているんだそうな。
まぁテレビで特集を組まれているくらいだから、結構前の話なんだろうけど。
最初にそのビジネスモデルを組み立てた企業の努力はすごいと思う。
先進国の例を見れば、アイデア自体は簡単に浮かぶけど、
それを実際にあの環境で成し遂げた点は、本当にすごいと思う。
でも、それより気になったのが、農家の方のコメントだった。
「お金が増えるほど、もっとお金が欲しくなる。次は車を買いたい」
という農家のお父さん。
「このままお父さんが欲しいものを何でも買ってくれるようになったら最高」
と、本当に嬉しそうに、高らかに笑う女の子。
きっとすごく純粋なのだろう。
そしてきっと、戦後の高度成長期の日本も、そんな感じだったのだろう。
そうして徐々に豊かになり、
テレビなどを通じて夢が広がり、
教育が行き届き始めて、選択肢が広がる。
その影では、農業の担い手が減少し、過疎化が進み、
やがて『豊かさの分配』が滞り、『豊かさの奪い合い』に変わっていくかもしれない。
ヒンドゥーの階級社会が崩壊の兆しを見せるかもしれない。
もちろん、日本とは人口も文化も違う国だから、
そうはならない可能性も十分にある。
宗教への信奉心だって、日本とは全く違う。
詳しくは知らないけど、英国みたいに、
いわゆるホワイトカラーとブルーカラーが、
互いの存在を認め合って生きていく社会になるかもしれない。
でも、この何とも言えない不安は何だろう。
僕ら日本人は、インドや中国に比べれば、まだ概ね豊かだと言えるだろう。
ありがたいことに、今の僕は、衣・食・住の全てが満たされている。
でも、みんなが豊かさを追い求めていた時代に描いた『豊かさ』は、
今この手の上にあるものと同じ姿をしているだろうか。
『豊かさ』を求める影で、失ったものはいったいなんだったのだろうか。
よく言われる『心の豊かさ』というものが、失われたものだとしたら、
僕はまだ、それを持っているだろうか。
持っているとしたら、どうやって手にしたものだったのだろうか。
今、仮に本当にそれが失われているのだとしたら、
手にしたことのない子供たちに、「心の豊かさ」を手に入れろ、
というのは、少々酷な命令だ。
「大人」といわれる人たちが、
もう一度真摯に自分と向き合ってみる必要があるんじゃないだろうか。
まだ自分に、その「心の豊かさ」が残っているかどうかを。
「バブルの発生と崩壊を止めることは不可能」と、
かつて米国のFRBの議長を務めた方が言っていたような気がする。
それが真実だとしても、
インドや中国(もはやバブルの崩壊が始まっているという見方もあるけど)といった、
今成長真っ只中の国が、
同じ轍を踏まないように、何かできることはないんだろうか。
もちろん国は自国の成長を止めるようなことはしないだろうから、
持続的な成長を実現しながらも、
地球環境や、人の心や、色んなことをケアできるように、
何か出来ることはないんだろうか。
僕は今、日本の人たちに対して、
「豊かな暮らしを提供する」ための仕事をしているはず。
もう一回、豊かさについて考えてみよう。
今回は農村に住む貧困層をターゲットにしたビジネスの話。
これまでずっと市場で買い叩かれていた農作物を、
規制緩和により、大企業が市場での価格よりも高価格で直接取引きすることで、
農家の方はもちろん、企業側も中間マージンを取り除くことにより、
実質割安で仕入れが出来るようになったそうな。
さらには、今までより収入が増えた農家の方々が、
テレビや洗濯機、シャンプーなど、様々な消費活動を起こし、
貧困層向けビジネスが注目を集めているんだそうな。
まぁテレビで特集を組まれているくらいだから、結構前の話なんだろうけど。
最初にそのビジネスモデルを組み立てた企業の努力はすごいと思う。
先進国の例を見れば、アイデア自体は簡単に浮かぶけど、
それを実際にあの環境で成し遂げた点は、本当にすごいと思う。
でも、それより気になったのが、農家の方のコメントだった。
「お金が増えるほど、もっとお金が欲しくなる。次は車を買いたい」
という農家のお父さん。
「このままお父さんが欲しいものを何でも買ってくれるようになったら最高」
と、本当に嬉しそうに、高らかに笑う女の子。
きっとすごく純粋なのだろう。
そしてきっと、戦後の高度成長期の日本も、そんな感じだったのだろう。
そうして徐々に豊かになり、
テレビなどを通じて夢が広がり、
教育が行き届き始めて、選択肢が広がる。
その影では、農業の担い手が減少し、過疎化が進み、
やがて『豊かさの分配』が滞り、『豊かさの奪い合い』に変わっていくかもしれない。
ヒンドゥーの階級社会が崩壊の兆しを見せるかもしれない。
もちろん、日本とは人口も文化も違う国だから、
そうはならない可能性も十分にある。
宗教への信奉心だって、日本とは全く違う。
詳しくは知らないけど、英国みたいに、
いわゆるホワイトカラーとブルーカラーが、
互いの存在を認め合って生きていく社会になるかもしれない。
でも、この何とも言えない不安は何だろう。
僕ら日本人は、インドや中国に比べれば、まだ概ね豊かだと言えるだろう。
ありがたいことに、今の僕は、衣・食・住の全てが満たされている。
でも、みんなが豊かさを追い求めていた時代に描いた『豊かさ』は、
今この手の上にあるものと同じ姿をしているだろうか。
『豊かさ』を求める影で、失ったものはいったいなんだったのだろうか。
よく言われる『心の豊かさ』というものが、失われたものだとしたら、
僕はまだ、それを持っているだろうか。
持っているとしたら、どうやって手にしたものだったのだろうか。
今、仮に本当にそれが失われているのだとしたら、
手にしたことのない子供たちに、「心の豊かさ」を手に入れろ、
というのは、少々酷な命令だ。
「大人」といわれる人たちが、
もう一度真摯に自分と向き合ってみる必要があるんじゃないだろうか。
まだ自分に、その「心の豊かさ」が残っているかどうかを。
「バブルの発生と崩壊を止めることは不可能」と、
かつて米国のFRBの議長を務めた方が言っていたような気がする。
それが真実だとしても、
インドや中国(もはやバブルの崩壊が始まっているという見方もあるけど)といった、
今成長真っ只中の国が、
同じ轍を踏まないように、何かできることはないんだろうか。
もちろん国は自国の成長を止めるようなことはしないだろうから、
持続的な成長を実現しながらも、
地球環境や、人の心や、色んなことをケアできるように、
何か出来ることはないんだろうか。
僕は今、日本の人たちに対して、
「豊かな暮らしを提供する」ための仕事をしているはず。
もう一回、豊かさについて考えてみよう。