夏の風物詩 | ekbB@blog

夏の風物詩


僕の家の目の前には、そこそこ大きい公園があります。
野球のできるグラウンドと、テニスコートが一面ずつ、
あとはアスレチック的なものと、割と大きな砂場のある公園です。

この季節になると、夜は花火をする若者や家族連れが多くなり、
夏の到来を感じさせます。
さすがに夜中まで騒がれると閉口しますが……。

人ごみが得意ではなく、また蚊が永遠のライバルだと思っているため、
あまり花火をすることはないのですが、
花火自体は結構好きです。

もう少し経つと、お台場方面から埼玉の「へそ」あたりまで帰る間に、
方々で行われる花火大会に遭遇するようになります。

運転していると、突然夜空のムコウに、
満開の花びらが現れ、散っていく。

わるくないな、と思います。

去年は隅田川の花火なんかも見れて、結構幸せでした。
東京湾花火大会に関しては、交通規制の関係で喜べない部分もあるのですが、
花火大会に出会えた日は、夏特有の楽しさと切なさが入り混じった感情を、
軽く味わうことができるのです。

同時に、自分たちで花火を買って、公園などで行う花火も嫌いではないです。
「花火小会」とでも名づけましょうか。
ロケット花火みたいなものはあまり好きくないのですが、
手持ち花火やドラゴン、トンボ。
そして何より線香花火。

刹那的に輝く楽しみと、それが消えていく切なさを、
交互に覚えながら、夏に溶けていく、馴染んでいく。
もうしばらくそんな感覚を味わっていないのですが、
やはり、わるくないな、と思います。

以前にも書きましたが、四季のはっきりした日本に生まれ育ったことの喜び。
それがまさに「風物詩」なんだと思います。
喜びや楽しさと、切なさや寂しさを同時に感じるもの。
そういったものに多く接することができれば、
自然と感受性も豊かになっていくのではないでしょうか。

春、満開の桜に目を奪われ、散っていく姿に切なさを覚え。
夏、風が揺らす風鈴の音が、涼しさと、喧騒の後にくる特有の寂しさを伝え。
秋、紅く染まる自然の芸術に心奪われ、やはり散っていく姿に切なさを覚え。
冬、雪の積もった銀世界の夜に、厳かなほどの美しさを感じ、同時に孤独を覚え。

偉そうなことを言ってしまうかもしれませんが、
幼少時代、こういった四季折々の風景、風物詩と関わることは、
どんな勉強にも勝る、教育になるのではないかとすら思います。

信じられないようなニュース。
深く悲しいニュース。
関係ない、他人事だ、と言うことの出来ないくらい、
日々、心が痛みます。

花火が照らし出す、一瞬の美しい光を、
もう見ることが出来ない人たちがいます。
それを見ることを奪った人たちがいます。

せめてもう一度、見せてあげたかった。
せめてもう一度、見ておいてほしかった。

そうしたら、何かが変わっていたのかもしれない。
もう、何を言っても遅いのだけれど。

だからこそ、それが許されている自分は、
迷わないように、間違わないように、
一日一日、季節を感じることの出来る幸せを、
しっかりと胸に抱きながら、生きていこうと思います。


ふと、聴きたくなって、
井上陽水氏の「少年時代」をかけています。
これも、自分にとっては風物詩。

「夏が過ぎ、風あざみ……」


ちと、まだ早いか。