こんにちわグラサン
先日Yahoo!ニュースで小学校のアダ名禁止の記事を見ました、で、今日テレビで同じ内容のアダ名禁止を取り上げたニュースを見ました。

内容的に賛成やら反対を街頭インタビューして意見を求めたり、スタジオでも賛否をコメントしてたりしましたが、現役教員からのコメントなどもあったけど、どれも的違いな印象。

私が感じるにアダ名は自分の小学生時代であれば、親しみを表す1つの手段でしかなかった。
今の子はそれをバカにしたものや卑下したもの、いじめの対象としてつけるなどしている部分があるのかもしれないが、それを一色単に禁止するっていうのもどうなんだろう?
教員がコメントしていたので受けた印象は、男性教員が生徒と距離感ができてしまうといい反対していたのに対して、女性教員が賛成していたのは生徒に対しての距離感や親しみ云々ではなく、実務として楽になる的なものいいの印象を受けた。
文部省や教育委員会などの方達もしかりだと思うが、アダ名禁止をすればいじめが無くなると思うのは間違いだ。
さらに増えてしまうと考えるのが普通。

今のままアダ名禁止をすれば子供達は友達という親しみを失うだけであって、親しみを養えない生徒同士は余計に友の痛みを感じる感受性を持てなくなり、いじめをいじめと認識できなくなる。

今やるべきはアダ名禁止ではなく、いじめに繋がるようなアダ名を何故付けてはいけないか、自分が付けられたらどう感じるのか、付けられたら人の心の痛みをわかる教育をする事ではないだろうか?

そんな教育をするのが面倒だからとアダ名禁止と全てを禁止することで楽になろうとするのは間違いではないだろうか?
教師や教育委員会が楽をするために子供達から親しみという感情の成長を奪う…

そして思うのは、大人は自らが率先してアダ名をつけまくっているなかでアダ名禁止がなされることだ滝汗
メディアや社会の中で、ハンカチ王子や美人過ぎる○○などなど、子供にはアダ名禁止を推し進めるなかでアダ名をつけまくる大人たち、恥ずかしくないのだろうか?

アダ名禁止を考える前に大人たちは自分達のしていることを今一度考えて、面倒だからと子供達の成長を阻む愚行をするのではなく、きちんと向き合って悪に進まぬように本質を摘み取る教育を出来るようにするべきだ。