
私が会長を務める日本理化学工業は、父が1937年に創業した小さなチョーク工場です。私は中央大学法学部を卒業後、23歳でこの会社に入社しました。
今でこそ、生き生きと知的障害者が働く会社の会長として講演などで話をする機会も多いのですが、入社したのは苦渋の選択でした。
学生時代は教員か研究者になりたかったのです。1人ひとりの人格を磨き上げる教師の仕事にあこがれていました。
法学の研究にも引き込まれ、教授から「研究者の道を歩んではどうか」と誘われもしました。
しかし、この夢はかなうことはありませんでした。
社長を務めていた父が心臓の病気を患うようになっていたからです。
父を助ける必要がありました。
入社を決断したのは、大学受験の失敗で得た、私なりの人生訓おかげでした。高校は現在の都立日比谷高校でした。
多くが東大に進学する中、私は東大受験に失敗。失意と挫折感を抱えたまま中大に進みました。
若いなりに悩みぬいた結論が「逆境を甘んじて受け入れ、その境遇を最大限活かす人生にする」という考えでした。
逆境と思って飛び込んだ世界は最高の選択でした。知的障害者と出会い、彼らと向き合いながら、人を育てていく喜びを学びました。
振り返ると、別のかたちで教育者になるという夢を実現していたのかもしれません。
人は必ずしも思い描いたとおりの人生を送ることができるわけではありません。
しかし、逆境の中でも、誰かの役に立つ努力を重ねれば、周りから支援されて、夢を実現する道もひらけるものだと思っています。