危うい球体(独語)・その2

危うい球体(独語)・その2

引き続き、気ままに日記を書いていきます。よろしくお願いいたします。




地球と戦う毎日。


このような酷い暑さにあっては「勝つか/負けるか」の二者択一。 

異常気象を引き起こしたのは紛れもない人間なのだがそれにしても暑すぎる。

本気で我々を滅ぼしにきている。


多分地球はめちゃくちゃ怒ってるんだと思う。

頭にカーッと血が上ってもう誰にも止められないくらいに。

今更ちょっとレジ袋を有料にしたところで残念だけどもう無理です。

地球VS人間の戦いは行くところまで行くのだろう。

森林火災が心配だ…



こんな感じの毎日だと「なんとか体調を維持しながら普通に暮らしているという“だけ”」で十分価値のあることなのではないかという気持ちになってきます。平常心で社会生活を営んでいる“だけ”でそこそこ立派なのではないか。


しかしながら最近気づいたのは、私を含めた多くの人間は「自分を褒める」ということが実はとても苦手なのだということ。


頭の中に架空のフローチャートを思い浮かべて考えてみたが、おそらく心理的プロセスとして自己を否定するほうが容易なのだと思う。

そして「何かしらの感情的な報酬」も得ている。

苦しいけれど楽なんです、きっと。


ダメな部分や情けないところも含めてありのままの自分を受け入れることの大切さ。

もちろん反省とか内観とか自己洞察は大切だけど、それは自分を傷つけ痛めつけることではない。

混同しちゃいけないですね。

もっとフラットに。


私は割と誰にでも自分の気持ちとか考えをハッキリ言う方だと思うけど、だからといって自信満々だとか自己肯定感が高いというわけではなかったようだ。

今まで生きてきた中で「自分を褒める」という観点で物を考えたことはなかったので、シンプルですが大きな気づきでした。


「困難をしなやかに乗り越える能力」のことを「レジリエンス」と言って、その能力に長けていることを「レジリエンスが高い」などと表現するけれど、心のバネみたいな?弾力みたいな?そんなイメージなのですが肉体同様に精神も凝り固まってはいけないんだろうな。



うーん…🤔

考えは尽きない。






それはともかく!

ATEEZの北米ツアーの様子を各種SNSやあれやこれやで断片的に観ていますが、液晶画面越しにも伝わる熱気たるや。

オーディエンスも彼らと一緒に大きな声で歌って踊って全身で自由に楽しんでいる感じがする。

なによりも明るい。


いいなぁー!

いつか海外でライブを観てみたい…でも勇気がないオエー


北米の地理や時差を調べながら「凄いなー世界ってこんな風に繋がっているのか」と地球儀をくるくる回して遊んでいる。


皆さんの旅路の安全を祈ります。






地球は一つだし丸い。


そういえばニコラ・テスラが球体恐怖症だったという話は本当なのだろうか。






クション。



“振り返った季節に立って

思い出せなくて嫌になって

流れ流れてた鳥だって

街で鳴いてたろ

鳴いてたろ


過ぎ去った季節を待って

思い出せなくて嫌になって

離ればなれから飛び立って

鳥も鳴いてたろ

鳴いてたろ


いつだって僕らを待ってる

疲れた痛みや傷だって

変わらないままの夜だって

歌い続けるよ

続けるよ


いつだって僕らを待ってる

まだ見えないままただ待ってる

だらしなくて弱い僕だって

歌い続けるよ

続けるよ”






聴くと体感温度が少し下がる嘆息的泡.。o○
結構歌詞がヤバかったはず。