デタラメな思想 | ブラック・アングル あばれイッキュウさんのブログ
長野駅前3人殺傷犯人逮捕、悪人であるに違いないが、なぜこのような行動に出たのかこれからの捜査による犯行動機を探るしかない。
善悪様々な面を誰でも持つが、根底はその人の頭の中にある思想の正邪。
誤った考え思想は誤った行動を起こし、正しい思想は正しい行動に繋がる。
それは当たり前のことだが、昨今は何が正しく何が間違えかわからなくなっているのが現状。
実は鎌倉時代も今と同じだったと推測される。
飢饉疫病の背景に誤った思想の流布があると日蓮大聖人は解いた。釈尊からの流れである仏教は釈尊自身が自分が死んで2000年後はもう自分の教えは効力を失うと言い、せの後は東の国から出る新しい人間に従えと。
その時代、そして釈尊のいたインドから見た東の国は日本が当てはまり、時代も鎌倉時代になる。
日蓮大聖人自体様々な文献を探り、自分のことだと気づく、ただ釈尊の予言はその人間は様々な大難に遭うと書かれていたが、あの時代、日蓮大聖人以上のあらゆる難に遭遇した者はいない。
殺されかけたことは何度かあり、幕府の命で捕まり竜の口で処刑までされかけた。
処刑が実行に移されようとするとき、光り物が迫り、恐怖におののき誰も殺れる者がいなかったので二度の島流しに
当時は一度でも島流しの刑に処せられりと死んでしまうのが普通だが、二回とも帰ってきた。
そして、その後、誤った教えを破釈、本当に正しい法を解いて行った。であるから最早誤った思想でしかない釈尊の教えは法華経に至る過程での学問でしかなく、それを信奉したところで何一つ効力はない。それをわかっていたから誤った思想には厳しかった。
不幸になるだけだと。
まさに今、政治でも思想でも間違った思想が跋扈し、それが不幸を作り出している。
デタラメなメディア、デタラメな政治、デタラメな選挙、
だからこそ見極めることが必要になる。