
宗門は、大御本尊があるからと、まるで保険のように考えてるが、自分の御本尊に対しては、大切には思ってない。
おまけに、大御本尊は素晴らしいとのマインドコントロールのせいで、年に数回どんなに経済的に苦しくても登山に行かねばならない。年々交通費の値上がりで疲弊しているが、大事なお目通りを拒む理由にはならない。
マインドコントロールのお陰で大御本尊にお目通りすると、如何にもスッキリする感じがする。
それでも、現実の生活はちっともよくはならない。
この異常気象で家を奪われたり、車を奪われたり、ついでに自宅の御本尊も流されたりと大御本尊にお目通りしている効果は全くと言っていいほど何もない。
それでも自分の信心が足りなかったと反省し、また次の登山に期待する。
だが、相変わらず何も変わらない、こうしたことを繰り返しながら法華講員は生きている。