もう遅いのかも知れない | ブラック・アングル あばれイッキュウさんのブログ
欧州青年部の座談が載せられていましたね。

ドイツマッゾーラ女子部書記長の話が印象に残りました。
「私個人としては、特に「大光」の章を心に刻んでいます。」と。

《ヒトラー

新人間革命 第4巻 「大光」

山本伸一は、ヒトラーのユダヤ人迫害の経緯を語ったあと、強い口調で言った。
「忘れてはならないのは、ヒトラーも、表向きは民主主義に従うふりをし、巧みに世論を扇動し、利用していったということだ。
 民衆が、その悪の本質を見極めず、権力の魔性と化した独裁者の扇動に乗ってしまったことから、世界に誇るべき“民主憲法”も、まったく有名無実になってしまった。これは歴史の大事な教訓です」

伸一は言った。
「もちろん、抵抗した人たちもいる。しかし、本気になって抵抗しようとした時には、ナチスは、ドイツを意のままに操る、巨大な怪物に育ってしまっていた。結局、立ち上がるのが遅すぎたのだ。多くの人びとは、ナチスのユダヤ人迫害を目にしても、黙って何もしなかった。無関心を装うしかなかった。それが、ナチスの論理に与することになった。

キリスト協会における、反ナチ闘争の中心的人物となった牧師マルティン・ニーメラーは、ナチスの暴虐が進んでいくのを目の当たりにして、自分がどう思ったかを、概要、次のように回想したという。

………ナチが共産主義者を襲った時、不安にはなったが、自分は共産主義者ではなかったので抵抗しなかった。ナチスが社会主義者を攻撃した時も不安はつのったが、やはり抵抗しなかった。ついで、学校、新聞、ユダヤ人……とナチスは攻撃を加えたが、まだ何もしなかった。そして、ナチスは、遂に教会を攻撃した。自分はまさに教会の人間であり、そこで初めて抵抗した。しかし、その時には、もはや手遅れであった………と。

こうした悲惨な時代を生きた人びとは、すべてが起こってしまったあとに、その教訓として、次のような格言を、苦い思いで噛み締めたという。
すなわち、「発端に抵抗せよ」「終末を考慮せよ」と。
悪の芽に気がついたら、直ちに摘み取ることだ。悪の“発端”を見過ごし、その拡大を放置すれば、やがて、取り返しのつかない“終末”をもたらすことになる。》