誰かの記事です。 | ブラック・アングル あばれイッキュウさんのブログ
引用です。

『「あなたにとって御本尊とは何ですか?」とアメリカの座談会で質問された時、私のフィアンセは「Determination!」と即答していました。日本語に直すと、それは「決意」「決心」等の直訳がありますが、御本尊とは、あるいは御本尊の前に座って唱題するということは、心を定める場、と彼は言いたかったのではないか、と私は受け止めました。フィアンセはイスラム教文化の国で生まれ育ち40年前にアメリカに移民してきました。報道で知るイスラム過激派の殺戮行為や暴挙から、宗教は自分の人生に必要ないと思って生きてきた人です。1999年にSGIの座談会に初参加して9年間聖教や大白を日本語で熟読して池田先生の人間主義の哲学に共鳴して2008年に入会。この3月で10周年。彼は科学者として社会に実証示しています。最近、16歳の息子と話していて、こう言われました「【祈り】と【拝むこと】は違う、僕は拝み屋にはなりたくない。」つまり他力本願ではなく、自立と自律ある誓願の祈り、決意と確信の祈りで生きる」と。池田先生と心を合わせる信心とは、こういう姿勢で進むことなのではないかな、とふと思い、シェアさせていただきました。』