法華講員とのやりとり | ブラック・アングル あばれイッキュウさんのブログ
約2週間前から、ネットで知り合い、毎日。言い合いを繰り返している人がいる。

おもろいから、ほんの抜粋だが、ここで公開してみたい。

法華講員
私もこれまで沢山でもありませんが創価学会信者と話しましたが、どなたも劇団ひとりならぬ劇団ひとり創価学会の方々ばかりで

池田先生が大事なのか創価学会が大事なのか思想が大事なのか?

はたまた本尊や題目が大事なのか全然一貫性がないんですよね

そしてまた破門以前と破門以後数年と現在に至るまでにコロコロと教義なども変え僧侶不要だとか葬儀不要だとかもはや本尊も必要ないとかどちらかと言えば創価学会の教義云々よりも自分中心の考え方で捉えてる方々ばかりです。

いくらこちらの思いが大事と言えど肝心の本尊すら定まっていない状態で世間で言う幸せは手に入れる事は出来ますが仏法で言う幸せや成仏なんてありえませんね

そしてまた権威と言えば池田先生をあまりに神格化させたからこそ今の創価学会は迷走して戦争法案1つにしても学会同士で揉めているのではないのですか?



私の反論

すべて大事ですね、ただすべては人です。人間が中心です。人間を離れた宗教は、たとえ何を言っても教条的で、人間は二の次、三の次でしょう。
本尊は定まってないなら、我が家の本尊は、いったい何なんでしょう?もしかしたら、宗門では、神札なのでしょうか?
我が家の本尊は、きちんと定まってます。池田先生は、神ではなく、信心を教えてくれる人です。
神格化しているのは、むしろ、学会以外のすべての方々でしょう。生きているうちの幸せと仏法で説く成仏とは違うものなのでしょうか?だとしたら、まるで念仏思想です。不幸でいても成仏できますからと宗門では、言うのでしょうか?いったい宗門の宗教としての価値は、何なんでしょう?
いまのところ、必要ないかんじです。