十四の誹謗の中で最も罪の思いのが、不信
信じないことである。謂わずもがなである。
他には軽善というのがある。
同志を誹謗中傷すること、また、その行為そのものだ。これをやってるうちは、たとえどんなに題目を唱えようが、願いなど叶うはずもない。
ネットだからというが、業態即信心である。
行為そのものが、信心の発露である。
ましてや、その行為に大勢の同志を巻き込んでいる。その罪は計り知れない。
最後通告
軽善。 仏法を、信じている人を軽蔑し、馬鹿にすること。
ましてや、嘲笑っている。恐らく、今年一年で、捧げてきた身の供養も、水泡に帰すだろう。
