『大聖人直結などというその言葉自体狂っておる』1992年8月の日顕の発言である 信徒が大聖人直結、御書根本の実践を行い、法主の存在が不要になってしまうことを恐れているのだ。御書のどこにも裏付けのない法主絶体論を振りかざす方がわがままで狂っていよう。1941年8月御書の発刊を禁止。その理由は鎌倉時代の御述作のため現今の社会情勢では大聖人の尊皇護国の精神が誤解されるというものだった。その翌月には「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」など14ヵ所を削除 いずれも軍部政府への迎合、へつらい以外の何ものでもない。創価学会の牧口会長は国家諌暁を叫び正法正義を守り抜いたため投獄された。牧口会長の御書には、「詮ずるところは天も捨て給え諸難にもあえ身命を期とせん」の御文に傍線が引かれていた。そして家族宛の手紙には御書身読の歓喜が綴られている。大聖人が門下に促した不惜身命の実践そのままである。御書どころか軍部の弾圧を恐れて神札まで受け取った宗門である。
そして、最たるものが、大石寺檀家総代が神社の氏子総代を兼務していた事実である。日興上人の「社参物詣を禁ず可し」との御遺戒に従い法主日如はこの大謗法を破折すべきではないのか!?所詮宗門の謗法厳戒など口先だけなのである。