僕は毎朝、約40分程度走る。

 

ランニングには程遠いが。

 

ジョギング程度にかな。

 

アホみたいに・・・

 

距離で約6.5kmほど。

 

その間いろいろ考える。

 

今日しなきゃいけないこと、

 

今日の動き、予定を考える。

 

かなり憂うつになる。

 

走ることからまずは憂うつなので

 

今日しなきゃいけないことがあることは

 

とてもありがたいことだが、憂うつのたねだ。

 

なので朝一僕は憂うつの二乗。。。

 

しかし40分走り切る頃には

 

憂うつに対して向かう気持ちになる。

 

ファイティングポーズがとれるのである。

 

走ることの憂うつから解放されて

 

しなきゃいけないことへの憂うつも

 

それに向かう気持ちが勝るので

 

憂うつが消え去る。

 

そして今日も一日やろっか、と、そんな気持ちになる。

 

こんな感じは40代の頃にはなかった感覚だ。

 

やはり五十にして天命を知る、、、

 

知ることを探している10年間だからだろうか?

 

とにかく憂うつであることが、1日のスタート。

 

そして早く起きるのもすでに体がそう覚えている。

 

朝早く起きることは憂うつに対する受け止めと

 

それをかき消す唯一の手段、方法。

 

そうすることで1日が見えてくる。

 

まぁほとんど強迫観念に駆られてるんだろうが(笑)

この春から大阪の大学へ進学した息子。

 

田舎もんのひとり暮らしにも少しは慣れたか。。。

 

ひとり暮らしを、大学生活を、巣立つ息子に

 

少しだけ偉そうに手紙を書いてかみさんに託した。

 

んでそれを読んだのかな?電話してきて「ありがとう」と。

 

そんなにも難しいことは書いてないが、

 

僕が思う、いまから4年間で試されることを書いた。

 

このように。。。

 

いろいろ悩むことがあると思う。

 

いろいろな選択に。

 

そのときはしっかりとゆっくり選ぶこと。

 

友達のこと、履修のこと、サークルのこと、その他いろいろ。

 

選択の連続だと思う。

 

その都度しっかり見極めること。

 

9年間野球で培った選球眼で。。。

 

と書いた。

 

野球は人生に通じる、と誰かが言った。

 

そのとおりだと。

 

しっかりと選ぶことができる、

 

そんな大人になるための4年間にしてください、と。

 

そして最後はいつもの

 

「ゆっくりでいいから、大きく優しい男になれ」と。

最近思う。

 

とくにこの春、そう思った。

 

というのも息子が先生になりたいと。

 

なると。

 

とりあえず普通科を出て大学生に。

 

いろいろ受験したが、その努力不足か、

 

思うようには。

 

しかし、それなりにしていたように思う。

 

叱咤は多々。

 

そらそうだ、よくやってるなどとほめるわけにも。

 

しかし終えた今、そこそこでよかったやん!と。

 

あとは大学4年間で(4年で卒業できるか???(笑))

 

何を学び、何になるかだ。

 

職業をどうするか、ということになろうかと。

 

とりあえず現実を見てるのか、昔からプロ野球選手だの

 

芸能人だのとかは言わなかった息子。

 

先生になりたいはブレずに。

 

うん、何も考えず、とりあえずで大学生になった僕に比べればマシか。。。

 

あとはどう本人が学び育つか、ですね。

 

そこでこう思う。

 

どこの大学を出ようが、どこの出自だろうが、

 

どこの家だろうがなんだろうが、

 

結局はその人なのである。

 

その職、その立場、そのものより

 

結局はその人のなりなのである。

 

高学歴だろうが、なんだろうが

 

そこにいる、その人とそのなりではなかろうか。

 

息子は希望の大学に届かなかった。

 

が、自分のできる範疇でそれを捉え

 

そこに向かう決意をした。

 

なので応援したい。

 

だって、息子は小学2年だったかな?

 

漢字の時間に「分」をなんて読む?と先生。

 

「ふん」「わける」「ぶ」「ぷん」「ぶん」

 

だいたいそんなもんだ、と。

 

そこで息子は手を挙げ、

 

「いた」!

 

と。

 

「大分のいた」と言ったらしい。

 

これには先生も驚き。

 

後で聞いた僕も驚いた。

 

まぁ人ってのはそんなもんだ。。。

 

でも息子は国語が苦手(笑)

落とし穴。。。

 

これはひとつの考察。

 

仕事でも勉強でもなんでも

 

イヤなことに向かう際、

 

ここまでと決めた中で

 

このあたりで、、、まぁ、えっか、

 

とか

 

ええわいな、ここで、

 

など。

 

何ごともそういったとこで終えると

 

必ず後悔する。

 

悔やむことが多い。

 

いろいろ悩む。。。あとあと。

 

悩むのならそのとき決めたとこまで、

 

なぜやらんなかったのか。。。など

 

自責の念に駆られることが。

 

相手があることなら致し方ないときもある。

 

しかしながら自分で動けば、

 

考えればどうにかなることに関していえば、

 

後悔することが得てして多い。

 

イヤなことってのは憂うつなのだ。

 

憂うつにむかうなど楽しいわけがない。

 

しかしやらなければいけないことから

 

逃げるばかりでは世の中渡っていけないのだ。

 

楽しいことに関してはこの他と考える。

 

基本気のすむまで止めないですからね、ゲームにしてもなんにしても。

 

要するに憂うつな事こそ、逃げずに決めてかかること、と考える。

 

そう考えると「ま、えっか」や「このあたりで・・・」

 

など、落とし穴は自分の心の中にある、と僕は考える。

息子が高校を卒業しました。

 

もうひとつのブログで

 

このあいだ息子の卒業式に行ってきました。3年間、長かったんだか短かったんだか。卒業式にむかう車の中でかみさんと「よ~3年間送り迎えしたな~」と。部活が終わってからは電車で帰ってくることが増えましたが、それまではほぼ。それとて、もうすることもなくなります。ちょっと寂しいというか、感傷に浸りながら学校へ。そして会場の体育館へ。3年まえの入学式のときは、あいさつできる人でさえわずかでしたが、この日はいろんな人と会話も。少しは慣れたかな、と。

10時少し前、厳粛なムードの中卒業式が始まりました。入場から卒業証書授与、祝辞をいただき送辞・答辞、そして蛍の光。一連の流れで。約1時間と少し。その間僕の頭の中は合格の日から入学式そして3年間走り続けた野球部と走馬灯のように思い出が。僕自身、右も左もわからないなかで、学年委員をさせていただきました。最初は本当に慣れるんかな?と戸惑いながらも、なんやかんやで気が付けば3年が経ち卒業です。息子はいいクラスメートにも恵まれたようで。3年間変わらず、一緒だったっていうのが大きかったんでしょう。小学校も中学校も高校もそれぞれ3年間クラス替えなしの・・・稀な人生ですね(笑)

そして同じクラスの野球部の仲間。担任の先生が副部長されてたってのもよかったですね。いつも近くでみてくれてましたから。

そして教室での最後のHRを終え、校舎をあとに。

ここで一句✒

ありがとう 3年間の 軌跡(奇跡)です

大げさかもしれませんが、すべて息子の起こした軌跡(奇跡)です。中3のとき、進路を決める最後の懇談で「八鹿高校を」と言った息子の覚悟ってのは、そうとうだったはず。その覚悟は間違ってなかったと、卒業する息子を見て、確信しました。卒業おめでとう!

前も書きましたが八鹿病院で生まれた息子。そして僕のおばあちゃんが八鹿の生まれというのも。合縁奇縁ですね。八鹿高校にお世話になることは必然だったのかも。

お世話にになったみなさんへ、おかげさまで無事卒業できました。ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

八鹿「で」よかった。

 

と思い出を綴りました。

 

んで続編では

 

続、、、う~ん。続ではないんですが、僕の思い出も少し。今までそうも交わることのなかった、南但地区での3年間。これは僕自身とても大きな財産となりました。前にも書きましたが、おばあちゃんが八鹿なので、少しは・・・と思いますがそうでもなく。小中はだいたい城崎郡というくくりで。そして北但というくくりで。高校もやはり北但学区というくくりだったので。んで仕事も学校卒業後は、地元金融機関に入行するも、本店営業部、港支店とやはり豊岡地区。しかしここでは少し幅が。というのも同期がたくさんいたので、八鹿などの南但の人とも交流するようになりました。しかしその程度。んでそんな環境下、息子が八鹿高校さんにお世話になったわけで。そして大所帯の野球部に入ったわけで。ただ息子が中3のとき関宮学園さんといっしょに野球をしてたのが救いでした。2人いた同級生が1人いっしょに野球部に入りましたから。しかも同じクラス(笑)

というのも野球部の保護者会とか、集まりとかで知らない人ばかり。初めて行った集まりが人・人・人。。。知らない人ばかり。でも息子を1人で行かせるわけにもいかないので。しかしながら、予想通りの展開。息子は息子で友達とワイワイ。わしゃ1人だわ、、、と思ってたら前年お世話になった、関宮のお母さんが会釈を。それだけでも救われましたね(笑)(どんなけアウェーやねん)

そして初の会話は忘れもしません、いちばん端っこに座ってた僕の前に座られた、現・養父市長のOさんとでした。娘さんが息子と同じ1年生で、野球部のマネージャーをされてて。僕はたまたま經友会での活動の中でお会いしたことがあり、それきっかけでいろいろな話を。日高からってのは大変ですね、といろいろ気を遣っていただいたのを憶えています。市長になられた今でもお忙しいのに、集まりには来ていただいたりと。頭が下がりますね。

そして最初に「お!ひさしぶり!」と声をかけてくれたのが、先に書きましたが、前職時代同期で苦楽をともにしたMくん。それこそ27年ぶり。まさか息子が同級生でいっしょになるなんて。。。と。ここで一気に会話に華が咲きました。知らないところで初めて声をかけてもらったら、そらもう神様に見えます(笑)助かった~と思いますよね(笑)

みなさんに感謝ですが、この3人の方には特に、、、ですね。

ここからいっきに加速して、野球部20人保護者も含め仲良くなりました!

そしていろんなひとに助けていただきながらの3年間でした。ありがとうございました。

ここで一句✒

3年間 親子ともども ありがとう

これからもいっしょに。そしてそれぞれの息子の結婚式には招待しましょうね(笑)

ちなみにですが、息子が3年間お世話になった担任の先生、僕が前職時代にお世話になった方の息子さんでした。いろいろ繋がってるんですね。。。ちょっとビックリでした。

 

 

、とこんな感じで思い出は尽きません、親子ともども。

 

この高校に通ったんでこれだけの思い出ができた、と。

 

そりゃ他に行ってれば他の思い出も。

 

それはそれぞれ、各々の道。

 

人生にif、もしも、、、はないので、その思い出が最高と思いたい。

 

というかサイコーなんでしょう。

 

その道でよかったと思える人生をこれからも

 

親子ともども歩いていきたいと。