もう少し前のことだが。。。

 

大事な友達が倒れた。

 

それこそ一命とまではいわないが

 

早くてよかったと。

 

それでもいろいろとあとには。

 

ちょっと言いたくはないが

 

不憫である。

 

でも一生懸命にリハビリに励む姿を見て

 

心から応援する。

 

そしてまたいっしょに弾ろう。

 

そう思うと力がみなぎる。

 

時を同じくして

 

また別だが

 

今度は訃報が。。。

 

僕より若い。

 

病気ではあったが

 

どうしようもなかったのか。。。

 

それこそ今の医学の進歩をみるに。。。

 

どうしようもない虚無感。。。

 

だから歌おう、うたおうと。

 

そんなことがあってから

 

この間久しぶりにスタジオに。

 

力いっぱいうたった。

 

届けと。。。

よく、誰もみてないから、

 

とか

 

誰もいないから、

 

など。

 

僕はこれをかなり気にする。

 

他人がみてないからと言って

 

誰もみてないわけではないと。

 

じゃだれが?

 

自分がみているのである。

 

さすがにどんな人でも

 

自分をごまかせないし、自分を否定できない。

 

それができるのはただの生き物だ。

 

じゃ誰がみている?というはなし。

 

先も書いたが、自分そして

 

「神」さまであると考える。

 

神様のご神体は鏡であることが多い。

 

鏡を考えるにかがみ、

 

か「が」み

 

が=我

 

我=じぶん

 

ということは

 

神様に宿るのは自分自身と考える。

 

鏡であるご神体に

 

自分がどう映るかということではないか、と。

 

たいへん浅い考えであるが

 

僕自身の考えである(おこがましいが)

 

なので自分自身を律していかないといけない。

 

それが「他人は見てなくても」

 

になると。

 

ぼくがいちばんそれを感じるのが、

 

自販機で飲み物を買う時。

 

釣銭に10円でも多いときは

 

必ず多い分おいていく。

 

そしてどこかにどっきりカメラが

 

隠しカメラがないか確認する(笑)

 

ちっさいな。。。あんたは。

 

おまえは。

 

栄治は、

 

とよく言われる。

 

たしかに気が小さい。

 

臆病だ。

 

すぐに後ろめたく感じたり、

 

少しのことで悩むし、

 

推敲する。

 

そこまで考えんでも。。。と。

 

でもそれは、自己嫌悪の裏返し。

 

自分が好きで仕方ない反面

 

自分のしたこと、言動について

 

人一倍悩むし、どうだっただろうか?と考える。

 

自分が好きであるが故、

 

自己嫌悪にも陥りやすいとは思うが、

 

しかししかし、

 

自分好きであるだけの人間なんて

 

とても付き合えないと考える。

 

となると気が小さいくらいでちょうどいいのだ。

 

小さなことでくよくよするな!

 

と言われることが多くある。

 

でも時と場合によると考える。

 

大きな決断をする際にはスパッと。

 

しかしそこに至るまでは悩みに悩んで推敲すればいいと。

 

なんでもそうだ。

 

小さなことから「こつこつと」だ!

 

小さなことに悩まないで大きな決断などできないと、、、

 

僕はそう思う。

 

ちっさいな、、、と言われたら

 

そうです、そこは繊細でいます、と

 

こころの中で、そう返事をしている。

 

 

僕はサザン「も」よく聴く。

 

鎌倉物語以降よく。

 

それきっかけでいろんな曲を。

 

まぁはずさない曲ばかり。

 

いい意味で聴き流すことができる

 

なんというか、洋楽を聴いてるかのような。

 

そんななかでも今回は原由子。

 

花咲く旅路、、、だ。

 

これはなんだったけか?お茶のCMに使われてました。

 

それで耳に残ってたんでしょう。

 

ある朝の番組でそのフレーズを耳にしました。

 

そのとき、これ弾たいてぇ~~~って衝動に。

 

今までも私はピアノから、そんなヒロシに騙されて、

 

そして鎌倉物語、と。

 

なんだろう、、、、この弾たいたいって衝動は、、、

 

わからないけど弾たいたくなりました。

 

原由子の声がその流れにあってるのかな?

 

おだやかにぼんやり遠くを眺めてる🎶

 

としながらも

 

世の中はなぜこんなに急いてと(せいてと)流れてく🎶

 

と、遠くを眺めながら世の中の動きに危惧を、懸念を。

 

しかしながら道なき旅を上手に歩いてる。。。🎶

 

深い。。。ふかい。。。

 

そしてまた、曲がのっかってる。

 

いい歌だ🎶♬🎤🎹

 

鍵盤の弾き語りだからこそ、、、

 

の曲なんだろう。

 

僕は毎朝、約40分程度走る。

 

ランニングには程遠いが。

 

ジョギング程度にかな。

 

アホみたいに・・・

 

距離で約6.5kmほど。

 

その間いろいろ考える。

 

今日しなきゃいけないこと、

 

今日の動き、予定を考える。

 

かなり憂うつになる。

 

走ることからまずは憂うつなので

 

今日しなきゃいけないことがあることは

 

とてもありがたいことだが、憂うつのたねだ。

 

なので朝一僕は憂うつの二乗。。。

 

しかし40分走り切る頃には

 

憂うつに対して向かう気持ちになる。

 

ファイティングポーズがとれるのである。

 

走ることの憂うつから解放されて

 

しなきゃいけないことへの憂うつも

 

それに向かう気持ちが勝るので

 

憂うつが消え去る。

 

そして今日も一日やろっか、と、そんな気持ちになる。

 

こんな感じは40代の頃にはなかった感覚だ。

 

やはり五十にして天命を知る、、、

 

知ることを探している10年間だからだろうか?

 

とにかく憂うつであることが、1日のスタート。

 

そして早く起きるのもすでに体がそう覚えている。

 

朝早く起きることは憂うつに対する受け止めと

 

それをかき消す唯一の手段、方法。

 

そうすることで1日が見えてくる。

 

まぁほとんど強迫観念に駆られてるんだろうが(笑)