僕はサザン「も」よく聴く。

 

鎌倉物語以降よく。

 

それきっかけでいろんな曲を。

 

まぁはずさない曲ばかり。

 

いい意味で聴き流すことができる

 

なんというか、洋楽を聴いてるかのような。

 

そんななかでも今回は原由子。

 

花咲く旅路、、、だ。

 

これはなんだったけか?お茶のCMに使われてました。

 

それで耳に残ってたんでしょう。

 

ある朝の番組でそのフレーズを耳にしました。

 

そのとき、これ弾たいてぇ~~~って衝動に。

 

今までも私はピアノから、そんなヒロシに騙されて、

 

そして鎌倉物語、と。

 

なんだろう、、、、この弾たいたいって衝動は、、、

 

わからないけど弾たいたくなりました。

 

原由子の声がその流れにあってるのかな?

 

おだやかにぼんやり遠くを眺めてる🎶

 

としながらも

 

世の中はなぜこんなに急いてと(せいてと)流れてく🎶

 

と、遠くを眺めながら世の中の動きに危惧を、懸念を。

 

しかしながら道なき旅を上手に歩いてる。。。🎶

 

深い。。。ふかい。。。

 

そしてまた、曲がのっかってる。

 

いい歌だ🎶♬🎤🎹

 

鍵盤の弾き語りだからこそ、、、

 

の曲なんだろう。

 

僕は毎朝、約40分程度走る。

 

ランニングには程遠いが。

 

ジョギング程度にかな。

 

アホみたいに・・・

 

距離で約6.5kmほど。

 

その間いろいろ考える。

 

今日しなきゃいけないこと、

 

今日の動き、予定を考える。

 

かなり憂うつになる。

 

走ることからまずは憂うつなので

 

今日しなきゃいけないことがあることは

 

とてもありがたいことだが、憂うつのたねだ。

 

なので朝一僕は憂うつの二乗。。。

 

しかし40分走り切る頃には

 

憂うつに対して向かう気持ちになる。

 

ファイティングポーズがとれるのである。

 

走ることの憂うつから解放されて

 

しなきゃいけないことへの憂うつも

 

それに向かう気持ちが勝るので

 

憂うつが消え去る。

 

そして今日も一日やろっか、と、そんな気持ちになる。

 

こんな感じは40代の頃にはなかった感覚だ。

 

やはり五十にして天命を知る、、、

 

知ることを探している10年間だからだろうか?

 

とにかく憂うつであることが、1日のスタート。

 

そして早く起きるのもすでに体がそう覚えている。

 

朝早く起きることは憂うつに対する受け止めと

 

それをかき消す唯一の手段、方法。

 

そうすることで1日が見えてくる。

 

まぁほとんど強迫観念に駆られてるんだろうが(笑)

この春から大阪の大学へ進学した息子。

 

田舎もんのひとり暮らしにも少しは慣れたか。。。

 

ひとり暮らしを、大学生活を、巣立つ息子に

 

少しだけ偉そうに手紙を書いてかみさんに託した。

 

んでそれを読んだのかな?電話してきて「ありがとう」と。

 

そんなにも難しいことは書いてないが、

 

僕が思う、いまから4年間で試されることを書いた。

 

このように。。。

 

いろいろ悩むことがあると思う。

 

いろいろな選択に。

 

そのときはしっかりとゆっくり選ぶこと。

 

友達のこと、履修のこと、サークルのこと、その他いろいろ。

 

選択の連続だと思う。

 

その都度しっかり見極めること。

 

9年間野球で培った選球眼で。。。

 

と書いた。

 

野球は人生に通じる、と誰かが言った。

 

そのとおりだと。

 

しっかりと選ぶことができる、

 

そんな大人になるための4年間にしてください、と。

 

そして最後はいつもの

 

「ゆっくりでいいから、大きく優しい男になれ」と。

最近思う。

 

とくにこの春、そう思った。

 

というのも息子が先生になりたいと。

 

なると。

 

とりあえず普通科を出て大学生に。

 

いろいろ受験したが、その努力不足か、

 

思うようには。

 

しかし、それなりにしていたように思う。

 

叱咤は多々。

 

そらそうだ、よくやってるなどとほめるわけにも。

 

しかし終えた今、そこそこでよかったやん!と。

 

あとは大学4年間で(4年で卒業できるか???(笑))

 

何を学び、何になるかだ。

 

職業をどうするか、ということになろうかと。

 

とりあえず現実を見てるのか、昔からプロ野球選手だの

 

芸能人だのとかは言わなかった息子。

 

先生になりたいはブレずに。

 

うん、何も考えず、とりあえずで大学生になった僕に比べればマシか。。。

 

あとはどう本人が学び育つか、ですね。

 

そこでこう思う。

 

どこの大学を出ようが、どこの出自だろうが、

 

どこの家だろうがなんだろうが、

 

結局はその人なのである。

 

その職、その立場、そのものより

 

結局はその人のなりなのである。

 

高学歴だろうが、なんだろうが

 

そこにいる、その人とそのなりではなかろうか。

 

息子は希望の大学に届かなかった。

 

が、自分のできる範疇でそれを捉え

 

そこに向かう決意をした。

 

なので応援したい。

 

だって、息子は小学2年だったかな?

 

漢字の時間に「分」をなんて読む?と先生。

 

「ふん」「わける」「ぶ」「ぷん」「ぶん」

 

だいたいそんなもんだ、と。

 

そこで息子は手を挙げ、

 

「いた」!

 

と。

 

「大分のいた」と言ったらしい。

 

これには先生も驚き。

 

後で聞いた僕も驚いた。

 

まぁ人ってのはそんなもんだ。。。

 

でも息子は国語が苦手(笑)

落とし穴。。。

 

これはひとつの考察。

 

仕事でも勉強でもなんでも

 

イヤなことに向かう際、

 

ここまでと決めた中で

 

このあたりで、、、まぁ、えっか、

 

とか

 

ええわいな、ここで、

 

など。

 

何ごともそういったとこで終えると

 

必ず後悔する。

 

悔やむことが多い。

 

いろいろ悩む。。。あとあと。

 

悩むのならそのとき決めたとこまで、

 

なぜやらんなかったのか。。。など

 

自責の念に駆られることが。

 

相手があることなら致し方ないときもある。

 

しかしながら自分で動けば、

 

考えればどうにかなることに関していえば、

 

後悔することが得てして多い。

 

イヤなことってのは憂うつなのだ。

 

憂うつにむかうなど楽しいわけがない。

 

しかしやらなければいけないことから

 

逃げるばかりでは世の中渡っていけないのだ。

 

楽しいことに関してはこの他と考える。

 

基本気のすむまで止めないですからね、ゲームにしてもなんにしても。

 

要するに憂うつな事こそ、逃げずに決めてかかること、と考える。

 

そう考えると「ま、えっか」や「このあたりで・・・」

 

など、落とし穴は自分の心の中にある、と僕は考える。