
大地と共に生きる建築——アボリジニの先住民族建築(ヴァナキュラー建築)
ヨーロッパ人がオーストラリアの地に足を踏み入れたとき、彼らの目に映ったのは「建物のない土地」だった。しかし、それは見る目を持っていなかっただけの話だ。1788年のイギリスによる入植が始まる以前から、オーストラリア大陸にはおよそ30万人もの先住民族が暮らし1、気候・地形・社会構造に深く根ざした多様な建築様式を数万年かけて発展させていた。これが、オーストラリア建築史の本当の出発点である。建築とは石やコンクリートでできた「建物」だけを指すのではない。大地と人間の長い対話のなかで生まれた空間的実践のすべてが、建築史の射程に入る。

「建築がなかった」という神話を解体する
入植者たちは先住民族の構造物を「原始的な小屋」と見なし、建築と呼ぶには値しないと考えた。この誤解は長く続いたが、建築人類学者ポール・メモット(Paul Memmott)の研究によって体系的に覆された。クイーンズランド大学アボリジニ環境研究センターを数十年にわたって率いてきた彼の著書 Gunyah, Goondie + Wurley: The Aboriginal Architecture of Australia(2007, University of Queensland Press)は、大陸初の包括的な先住民族建築調査として高く評価されており、受賞歴も持つ。
そのメモットはこう述べる。「入植以前の支配的な建築カテゴリーは住居建築であり、居住キャンプに使用される多様なシェルタータイプが含まれていた」2。建築がなかったのではなく、西洋の目には「見えていなかった」だけだ。植民地エスノグラファーたちが先住民族の住居の記録を始めたのは1870年代からであり3、それ以前の観察者たちが残した記述は植民地的偏見に満ちていた。メモットが「エスノ・アーキテクチャー(ethno-architecture)」と呼ぶアプローチは、建築を社会・文化・環境との不可分な関係として捉え直すものだ。
気候と文化が生んだ多様なシェルター
アボリジニの建築は「一種類の小屋」ではなかった。その形態は地域の気候・社会構造・家族規模・入手できる素材によって驚くほど多様に分岐していた4。大陸の広大さを思えば当然のことだが、熱帯雨林・砂漠・温帯海岸という三つの異なる生態系を抱えるオーストラリアでは、建築のかたちもそれぞれの環境と交渉しながら独自の発展を遂げた。
主な構造タイプとしては、樹皮や枝を組んだ軽量のグンヤ(Gunyah)、低木や草で覆われたドーム型のウーリー(Wurley)、砂漠地帯向けの風防を兼ねたウィルチャ(Wiltja)、クイーンズランドなど北部地域のゴンディ(Goondie)などがある。クイーンズランドやタスマニアの熱帯雨林地帯ではカゴヤシの葉を使ったドームハウスが建てられ、アーネムランドではパルムリーフのクラッディング技術が発達した5。西部砂漠では食糧の乏しさと不規則さに対応するため、人々は高い移動性を維持し、建築もそのライフスタイルの延長として設計された6。スピニフェックスグラスを外装材とする弓形シェルターや、木製フレームに粘土を塗り固めた半恒久的住居まで、素材と技法の幅は現代建築家も驚くほど広い。
重要なのは、構造が「単純」だからといって「粗雑」ではないという点だ。それぞれの形態は、長い時間をかけて気候・地形・社会関係を反映しながら洗練されてきたものだ。
ウィンドブレークと「屋外に生きる」という哲学
建築研究者ティム・オルーク(Tim O'Rourke)は、風防と日よけ構造をアボリジニの代表的シェルタータイプとして論じ、これらが植民地以前の構造物の形と機能を現代まで参照し続けていると指摘している7。
より本質的なのは、それが単なる素材の選択ではなく、哲学の違いだという点だ。アボリジニの多くの文化では、「密閉された屋内に住む」のではなく「屋外の周囲で暮らす」という生活スタイルが好まれた。これは社会的なつながりを維持し、コミュニティの紐帯を保つための空間的選択だった8。キャンプ全体がひとつの建築的単位として機能しており、火を中心に家族や親族が円弧状に配置される空間構成は、西洋的な「部屋で区切られた住宅」とは根本的に異なる空間秩序を示している。オルークはさらに、「ウィンドブレークと日よけ構造の持続的使用が、独特の先住民的社会性の形式を維持・促進した」と論じており8、植民地時代に強制された西洋式住宅が先住民コミュニティの社会的凝集力を損なった一因とも考えられている。

バジュ・ビム:定住社会の証拠
「アボリジニはすべて遊牧民だった」という誤解をもっとも力強く覆す場所が、ビクトリア州南西部に位置するバジュ・ビム(Budj Bim)文化的景観だ。
ここはグンディッチマラ(Gunditjmara)の人々が少なくとも6,600年以上にわたって使い続けてきた場所であり、玄武岩の溶岩流を利用した複雑な水路・堰・罠からなる水産養殖システムを持つ9。炭素年代測定によってエジプトのピラミッドやストーンヘンジよりも古いことが確認されており、2019年にはオーストラリアで唯一「アボリジニ文化的価値のみを理由に」世界遺産登録された10。Engineers Australia(オーストラリア技術者協会)もバジュ・ビムを「国内トップクラスの工学的成果のひとつ」として評価している。
さらに注目すべきは、この周辺に少なくとも146〜300棟の石造住居の痕跡が残されている点だ11。石積みの円形壁は1メートル以上の高さを持ち、土製またはスピアグラスで覆われたドーム屋根で覆われていた12。壁の建材となった玄武岩は、バジュ・ビム火山の溶岩流がもたらしたものであり、景観そのものが建築資材の供給源でもあった。
モナッシュ大学の先住民考古学者イアン・マクニーブン(Ian McNiven)教授はこう述べる。「グンディッチマラは自然が提供するものを受動的に受け取るのではなく、積極的かつ意図的に水の流れと生態系を操作し、ウナギの入手可能性と安定供給を高めるための景観をエンジニアリングした」13。
石造住居の構法と集落の空間構成
バジュ・ビムの石造住居群は、単なる「避難小屋」ではなかった。グンディッチマラの人々は、水産養殖システムと一体化した定住集落を形成しており、ウナギの漁期に合わせて複数のクラスターが湖岸の溶岩尾根沿いに配置されていた。モナッシュ大学によるクルトニッチ(Kurtonitj)石造住居の発掘調査(2017年)では、金属製遺物の年代測定から1840年代〜1860年代にかけての継続的使用が確認されており、ヨーロッパ人との接触後も建築様式が維持されていたことが示されている14。
石造住居の建設には、地域の玄武岩を積み上げる乾式石積み(ドライストーン)技法が用いられた。これはヨーロッパの伝統的な石積みと構造的に類似しているが、グンディッチマラの技法は火山性溶岩地形を巧みに利用した独自の発展を遂げたものだ。Darlot Creekに沿って確認された遺構は、一部で1,700年以上の建設年代が示唆されており15、これが単発的な工作物ではなく長期にわたる工学的実践の積み重ねであることを物語っている。
空間に込められた社会と文化
アボリジニのシェルターは、単なる「雨露をしのぐ場所」ではなかった。キャンプの空間配置には、親族関係・性別役割・儀礼的秩序が反映されており、建築物の配置そのものが社会構造のダイアグラムとして機能していた16。例えば多くのアボリジニ・コミュニティでは、火を中心とした円弧状の配置が基本単位となり、特定の親族グループが特定の方位に居住するというルールが建築的に実現されていた。
ランゲージグループによっても名称と形態が異なる。これは、建築が単一の「アボリジニ文化」ではなく、数百もの異なる言語・文化グループのそれぞれの知恵の結晶であることを示している。グンヤとウーリーとウィルチャは、単に形が違うだけでなく、それぞれ異なる社会的文脈・精神的意味・使用規範を持つ別々の建築的解答だったのだ。
まとめ:建築史は1788年以前から始まっている
オーストラリアの建築史をイギリス入植から語り始めることは、この大陸の建築的知性の大部分を黙殺することに等しい。グンヤやウーリーから石造集落まで、先住民族の建築は気候・社会・精神世界を一体として構築した、洗練された空間的実践だった。バジュ・ビムはその極点として、定住・農業・工学・建築が高度に統合されたひとつの文明の証拠を今日に伝えている。
次の記事では、1788年のイギリス第一船団到着後、この豊かな建築的文脈の上に「植民地建築」がどのように重ね書きされていったかを見ていく。

注釈
1 Memmott (2007) は入植開始時の先住民族人口をおよそ30万人と推定している。この数字は植民地化以降の急激な人口減少を背景に、現在も議論が続くテーマである。
2 Memmott, P. (2007). Gunyah, Goondie + Wurley, p.xx. 原文:"The dominant category of architecture prior to the British invasion was domestic, comprising a considerable range of shelter types used in residential camps."
3 Academia.edu掲載論文 'Australian Indigenous Architecture: Its Forms and Evolution' (2025参照). 植民地エスノグラファーによる住居記録の開始時期についての記述より。
4 Wikipedia: Indigenous Architecture (2025). シェルターの形態が気候・社会組織・家族規模・文化的ニーズ・利用可能な資源によって異なっていたという記述より。
5 Memmott (2007), p.100. アーネムランドとケープ・ヨークにおけるパルムリーフのクラッディング技術についての記述より。
6 Memmott (2007); Johns Hopkins University Press による書評 (2008). 原文:"within the Western Desert 'cultural bloc,' peoples were highly mobile in response to scarcity and unpredictability of resources, so the architectures of this region are an extension of a nomadic livelihood."
7 O'Rourke, T. (2017). 'Aboriginal bush materials in contemporary architecture.' Architecture Australia. 原文:"Windbreak and shade structures built in the twenty-first century clearly reference the forms and functions of pre-colonial structures."
8 同上。O'Rourkeは「ウィンドブレークと日よけ構造の持続的な使用が、独特の先住民的社会性の形式を維持・促進した」と論じている。
9 Australian National Heritage listing (2004); UNESCO World Heritage Centre (2019). 炭素年代測定で6,600年以上前と確認されている。
10 UNESCO World Heritage Centre (2019). Budj Bim Cultural Landscape. 2019年に登録されたオーストラリア20番目の世界遺産物件であり、先住民文化的価値のみを登録理由とする唯一の事例。
11 Creative Spirits (2021) は「少なくとも146棟」、Global Voices (2026) をはじめとする複数の資料は「約300棟」の石造住居跡を報告しており、発掘調査の進展により数が更新されている。
12 Wikipedia: Indigenous Architecture (2025). 石積みの円形壁が1メートル以上の高さを持ち、土またはスピアグラスで覆われたドーム屋根を持つという記述より。
13 McNiven, I. (2016). 'The detective work behind the Budj Bim eel traps World Heritage bid.' The Conversation. 原文:"Rather than living passively off whatever nature provided, the Gunditjmara actively and deliberately manipulated local water flows and ecologies to engineer a landscape focused on increasing the availability and reliability of eels."
14 McNiven, I. J. et al. (2017). 'Kurtonitj stone house: Excavation of a mid-nineteenth century Aboriginal frontier site from Gunditjmara country, south-west Victoria.' Archaeology in Oceania, 52(1). 金属製遺物の年代測定結果(c.1840–1870)に基づく。DOI: 10.1002/arco.5136
15 ICOMOS ISCCL (2025). Budj Bim Cultural Landscape紹介ページ。「Remains of 1,700 year old Aboriginal stone house」の表記を参照。denisbin, Flickr, 2015.
16 Memmott, P. (1997). 'Alyawarr,' in Oliver, P. (ed), Encyclopedia of Vernacular Architecture of the World. Cambridge University Press. キャンプの空間配置と親族関係・性別・儀礼秩序の関係についての記述より。
参考文献
- Memmott, P. (2007). Gunyah, Goondie + Wurley: The Aboriginal Architecture of Australia. University of Queensland Press, St Lucia. ISBN: 9780702232459
- Memmott, P. (1997). 'Alyawarr,' in Oliver, P. (ed), Encyclopedia of Vernacular Architecture of the World. Cambridge University Press, Cambridge.
- McNiven, I. J. et al. (2017). 'Kurtonitj stone house: Excavation of a mid-nineteenth century Aboriginal frontier site from Gunditjmara country, south-west Victoria.' Archaeology in Oceania, 52(1). DOI: 10.1002/arco.5136
- McNiven, I. (2016). 'The detective work behind the Budj Bim eel traps World Heritage bid.' The Conversation.
- The Gunditjmara people with Wettenhall, G. (2010). The People of Budj Bim: Engineers of Aquaculture, Builders of Stone House Settlements and Warriors Defending Country. em PRESS, Heywood, Vic.
- O'Rourke, T. (2017). 'Aboriginal bush materials in contemporary architecture.' Architecture Australia. https://architectureau.com/articles/Aboriginal-bush-materials-in-contemporary-architecture/
- UNESCO World Heritage Centre. (2019). Budj Bim Cultural Landscape. https://whc.unesco.org/en/list/1577
































































